東北支部リレーエッセイ「LW(リビング・ウイル)のチカラ㉑」
死を見つめて確信したこと。
魂は間違いなくあるということ。
日本尊厳死協会東北支部理事(青森県)
小枝 淳一
大学を卒業し、臨床研修を終了して、消化器内科医になりました。
地方の病院や診療所に派遣されたときには一般内科もやりましたが、都市部の病院では主としてがん診療に従事しました。重症の方が多かったので、多くの方々が亡くなられました。力及ばずという言葉も多用しました。
15年後、青森市のホスピス病棟の専従医になりました。死にゆく人のそばにいてじっと見つめていると、それまで気づかなかったことが次々に現れました。認知症が進んで、たった一人の娘の顔も名前もわからなくなってしまった高齢の女性。CTでも脳は海馬も含めて、こんなに小さくて生きていられるのだろうかというほど萎縮していました。
娘は「どちらさまですか?」と聞かれながらも毎日見舞いに来ていました。
ある日、娘がびっくりしたような顔をして病室から出てきて、「母が私の名前を呼んだのです。はっきりと!」とおっしゃって泣いて喜んでいました。
亡くなるまでの3日間、思い出話に花を咲かせておられました。
ホスピス医になってすぐに、在宅ホスピスも始めました。最期まで自宅で家族と一緒に過ごせた方々は本当に幸せそうでした。
中には、本人は最期まで入院したくないと言っても、ご家族が入院を希望されることもありました。では何日後には病棟のベッドが準備できそうなので、前日までご存命であれば入院してくださいと伝えると、入院の2日前や前日に旅立たれた方もいました。亡くなられた方々は、死が間近になると、いつ逝くかを自分の意思で決めて逝かれたようでした。
自宅で亡くなられた方の死に顔は皆さん笑顔でした。ホスピス病棟で亡くなった方もほとんどの方が笑顔で穏やかなお顔でした。亡くなられたときには笑顔でなくても、駆けつけた家族が優しい言葉やねぎらいの言葉をかけると、徐々に笑顔に変わっていくのを何度も目撃することができました。
これらのエピソードは、魂の確かな存在を私に教えてくれました。
私の人生の宝物です。
(医師 生協さくら病院 元・青森在宅緩和ケア懇話会世話人代表)