東北支部リレーエッセイ「LW(リビング・ウイル)のチカラ㉓

私のいつもの日常。

日本尊厳死協会東北支部理事(山形県) 
吉岡 孝志

 私のいつもの日常は、朝の回診から始まる。
日ごろは通常通り、ベッドを回り朝の挨拶を終える。
でも、時々今日のように、気になることがあると、ベッドを回りながらも考えてしまう。

 今日は一人の患者さんについて思い悩んでしまった。
彼は、40代の男性、4年前に膵体部癌が疑われて当院に来た。胃検診では、胃透亮像があり、胃内視鏡で静脈瘤を指摘され、当院で組織学的検査を施行したところ、神経内分泌腫瘍の診断となった。結局、神経内分泌腫瘍特殊検査を受け、肝転移も疑われ、それが仮に無かったとしても局所高度の進行した門脈腫瘍栓の存在から手術は難しく、化学療法先行という事になった。

 当時多少下痢があっため、2つの神経内分泌薬で治療を開始した。規定量の概ね80%の薬で不変と2023年11月まで内服可能だった。一治療で多少奏効が認められなくとも、外科治療を前提とした神経内分泌療法を行う治療の適応はありと考え、国立がん研究センター中央病院にコンサルしたところ、残念ながら現時点では腫瘍栓が門脈左右分岐部近くに伸び、以後の手術は難しいとの診断であった。その後、2024年2月から9月まで神経内分泌療法を4回行い、分岐部派での診断から多少引いたと考えられ、2025年1月再度念のため国立がんセンター中央病院をコンサルとした。

 彼にとっては、どんな気持ちだろう。国立がんセンターの外科が、やはり手術は不能と診断したら、やはりつらいと思う。私自身もこういう症例は、思いもかけない思い出となる。病巣が一度も消えず、体の中に残ったまま、何時再燃するかしれない治療を続けるというのは、考えられない。せめて一度は最悪から逃れられないかと思ったりする。

 朝考えていた、患者さんの話がこうだ。こうした思いを再度してしまったと思うこの頃、今年は退職なので最後の経験かも知れないが、いつも残念に思う。 

(医師 山形大学医学部臨床腫瘍学分野 教授)

勤務先の国立大学法人山形大学医学部附属病院の外観
松尾芭蕉の山形での句に「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花」