東北支部リレーエッセイ「LW(リビング・ウイル)のチカラ⑮」

「緩和ケア医」になって30年。たくさんのことを患者さんから教えてもらい…


緩和ケアの患者さんから教えてもらったこと。
ひとは最後まで成長できるということも。

日本尊厳死協会東北支部理事(青森県) 
馬場祥子

緩和ケアに携わって30年以上、いまでも患者さん一人一人から毎日いろいろな事を学ばせてもらっています。

15年ほど前の話です。
彼女は29歳。ハンティングハットを目深にかぶり、大きなマスクをして診察室に入ってきました。14歳でユーイング肉腫と診断され積極的に治療をしてきたものの、残された治療法ほとんど無いと医師から告げられた時、見放されたと感じて引きこもるようになったとのこと。しかし、疼痛が強くなったため、母に説得されて緩和ケア科を受診し入院した方でした。

彼女は自分の殻に閉じこもり、両親は翻弄されているように見えました。私はそんな彼女にハラハラしながら、どうしたら彼女の周りにある壁を破れるのかと考えていました。ある日二人だけになった時、それまで何も話さなかった彼女から「先生はどうしてここにいるの」ときつい口調で問われました。とっさのことで一瞬躊躇しましたが、出てきた言葉は「○○さんのことをもっと知りたくて」でした。「ふ~ん」と言って彼女は黙りました。

2週後、彼女は「自分の布団で寝たい」と自宅に帰り、訪問診療が始まりました。訪問を繰り返すうち彼女はいろいろなことを話してくれるようになり、そこには大きいマスクの彼女はいませんでした。
「みんな元気なのに、私だけが…」といって泣いたり、「急に息が詰まって苦しくなって死ぬのではないか」と死への恐怖を訴えたりしてきました。
私は「死は仏間のふすまを開けて入っていくようなもの」という話や自分の経験を話しました。二人でたくさん話をした後、彼女は「今は幸せ。いい風も入ってくるし…」と、窓から入ってくる風を感じながら穏やかな表情をしていました。
姉妹も来て家族みんなで過ごした時には「とっても楽しかったの。だけど楽しい分悲しい…」、そして「私はツッパッテきたみたい。自分では気持ちをきちんと整理したと思ったのに…。今は違う。かえって怖くなった」。

翌日、状態が悪化したとの連絡があり、直ぐに訪問しました。一過性の意識消失で、回復後「今のはリハーサルだよ。みんな演技下手だね~」といって家族を泣かせたり笑わせたりした彼女でした。
数時間後、彼女は家族の介助で水を飲み、すっと眠るように旅立ちました。

彼女は私に沢山の事を教えてくれました。寄り添うということの意味、家族の大切さ、そしてひとは最後まで成長できるのだということを。

なぜ、“お岩木”と、地元の人たちから親しまれるかが分かる気がする。
青森県といえば「林檎」。赤き果実の季節はもちろん、白い花の時期もうっとりする美しさ。