LW(リビング・ウイル)のチカラ⑨

日本尊厳死協会東北支部理事(宮城県)
伊藤道哉

念いを見える化する

人生の最終段階における医療・ケアからインド生命学までが研究対象 
伊藤道哉支部理事

秋のお彼岸に本エッセイを書かせていただいているのも、何かの因縁と感謝申し上げます。

彼岸とは、苦しみに満ちた娑婆であるこの世から、彼方の理想の世界に到る、到彼岸(pāramitā 波羅蜜多)に由来いたします。この世の正反対param=極楽に、itā到った、波羅蜜の偉大なる智慧が、『摩訶般若波羅蜜多心経』ですね。

波羅蜜のお寺、六波羅蜜寺といえば、空也上人(903-972)です。空也上人は、この3月、はるばる京都から上野の国立博物館にお出ましになられたのを幸いに、すかさずお目にかかって参りました。

京都の六波羅蜜寺では尊像の正面からのみ拝覧しておりましたが、今回360度丸っと拝見できました。アスリートさながらのおみ足に行脚の凄まじさを実感しました。空也上人といえば、6体の南無阿弥陀仏が口から見える化しております。空也上人の願文は「彼を先として我を後とするの思いを以て思いとし、他を利して己を忘るるの情(こころ)を以て情とす」です。

自分ファーストの考えを捨て去って、他人の利益を最大化することに専念する。お互いが、他人のメリットを最大化すれば、各自のメリットとして自分にも返ってきて、すべての人のメリットが最大化する、そう受け止めます。

歴史を振り返ると、浮き世の修羅場は今に始まったことではなく、末法の世に救済を行った空也上人は、「山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ」と詠じておられます。「身を捨ててこそ」の覚悟は、沢庵宗彭(1573-1646)「きりむすぶ 刃の下は地獄かな 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」、柳生宗巌(石舟斎)(1527-1606)「斬り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」、宮本武蔵(1584-1645)「振り下ろす 太刀の下こそ 地獄なれ 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」、そして「身を捨てて浮かぶ瀬ぞあり」を体現した山岡鉄舟(1836-1888)の「打ちあわす剣の下に迷いなく 身を捨ててこそ 生きる道あれ」へと連綿と受け継がれました。そして、コロナ禍の2022年に到るまで大きな影響を与え続けております。

空也上人の見える化、念いを目に見える形に表現し、他者に伝え、共有する。ACPも、リビング・ウイルも、ご自身の念いを、見える化して共有する、尊い営みと考えます。みずからの念いは、表現し、見える化してこそ、みなさまからきっと尊重されるのです。
(東北医科薬科大学医学部 臨床教授)

まさに、6体の南無阿弥陀仏が口から見える化している「空也上人像」
「空也上人と六波羅蜜寺」展に感銘。「リビング・ウイル」こそ、念いの見える化では
空也上人=アスリート 浮き出る血管