LW(リビング・ウイル)のチカラ⑩

令和4年3月、東北大学を定年退職。最終講義を終えた佐藤冨美子支部理事


「死」を身近に感じる

日本尊厳死協会東北支部理事(福島県)
佐藤冨美子

人は死をどのように捉え、生きているのか?

この疑問に至ったのは、起床時に突然「死」を身近に感じ、恐怖感で気持ちが揺さぶられる体験をしたからです。
看護師または看護教員として、多くの方々の最後を看取ってきましたが、自分の死に重ねて恐怖を覚えるなどという感覚はその時まではありませんでした。それがとても身近に感じるようになったのです。このことは、父親が亡くなった年齢に近づいたからなのか、「なかなか死ねないね」と言いながら逝った最愛の母親の面影が忘れられないからなのか。

私の「死」の理解は、人は死までのエネルギーを力にし、光り輝きながら蝶になって飛び立つ、というイメージです。これは死んで行く人々の心のプロセスを著したキューブラー・ロスの考えです。
肯定的で希望溢れる死後の世界をイメージすることで、死にゆく方たちとも緊張せずに関われました。

一方で、一瞬で意識がなくなった過去2度受けた手術前の全身麻酔体験から、「死」とはそのようなもの、つまり、“無”であるとも思っています。

この夏に日本尊厳死協会九州支部主催による大谷徹奘(てつじょう)執事長(奈良県薬師寺)の講演で、「自覚悟(じかくご)」について知りました。
生き抜いてこそ、死に切ることができるのであり、「生き抜いてやろう」という腹くくり「自覚悟」が生き抜くために大事であることを学びました。死の恐れは、生き抜いた後にはなくなるようにも思えてきた、貴重な講演でした。

「死んでからの幸せ」というお話も心に残りました。死んでからの幸せとは、一生懸命に生きて皆に思い出してもらえることだそうです。
皆の心に残るように精一杯生ききること、そして先に逝った人の死後の幸せを願い、想い続けること、これが生きている者の使命のように思いました。

どんな死を迎えるか、どんな死を遺された人にみせるか、それを決めるのは自分であり、尊厳死の本質ではないでしょうか。

コロナ禍にあってハイブリット型の多様なテーマの講演会に参加できるこの機会に、生や死をテーマにした講演会に参加してはいかがでしょうか。人生を俯瞰的に考える機会になります。 

福島県立医科大学看護学部 特命教授

毎年文化の日開催のウオーキング大会に夫婦で参加。今年も10キロメートルを完歩しました。
大学院生との修了式後のスナップ写真。嬉しい瞬間です。