「曖昧さの中で命を支える」リビングウイルの意義

昨年12月26日(土)、久留米大学公開講座で、臨床・看護師(みまもりし)のテーマで、お話させていただきました。
年末のコロナ禍の中、ご参加いただいた方々とは初めてお会いしたにもかかわらず、親密な空気感の中で講演がスタートしました。人類にとって同じ危機状態にある時代を共に生きているという仲間意識でしょうか。講演では、自宅でお見送りした、高齢者から子どもさん方との関りの中で、訪問看護・臨床心理士として感じたことなどを聴いていただきました。「命」はご本人とご家族のものであり、専門家としてのエビデンスや価値観のもと、思考停止状態とならないように戒めながら関わってきました。
尊厳死協会の活動に携わり、普及啓発活動に取り組まなければならない立場にありながら、言葉にしてしまうと「何かが違う・・」という思いにかられる瞬間があります。一人の人生の最期をどのように支えるかなど、答えのない人間の課題に取り組むとき、曖昧さに耐えながら、最良の方法を導き出す力が必要だと感じます。このような支援を通して感じてきたことと共に、「終末期医療における宣言書」について紹介しました。初対面の方々と深い共感の中で繋がったという感覚が今も残っています。参加してくださった方々が、それぞれの生活の中で、「命」について語り尊厳死協会の活動に興味を持っていただけたと確信しています。今後も看護教育や、地域の方々へ日常の関りを通した発信も続けて行きたいと思っています。(九州支部理事渡邉理恵)ないように戒めながら関わってきました。尊厳死協会の活動に携わり、普及啓発活動に取り組まなければならない立場にありながら、言葉にしてしまうと「何かが違う・・」という思いにかられる瞬間があります。一人の人生の最期をどのように支えるかなど、答えのない人間の課題に取り組むとき、曖昧さに耐えながら、最良の方法を導き出す力が必要だと感じます。このような支援を通して感じてきたことと共に、「終末期医療における宣言書」について紹介しました。初対面の方々と深い共感の中で繋がったという感覚が今も残っています。参加してくださった方々が、それぞれの生活の中で、「命」について語り尊厳死協会の活動に興味を持っていただけたと確信しています。今後も看護教育や、地域の方々へ日常の関りを通した発信も続けて行きたいと思っています。

(九州支部理事渡邉理恵)