気管挿管の知識がなく自分で勉強

83歳父/看取った人・娘/東京都/2023年回答

医師によっては、父がリビング・ウイルの意志を表明していることを知ると「何かあった時に気管挿管はどうするのですか、前もって決めてください」と言われました。気管挿管については知識がなく即答できませんでした。その後、気管挿管について勉強しました。

父は亡くなる4、5年前からは認知症になり、こう生きたいという意思表示は難しい状態でしたが、認知症になる前に決めた意志にもとづき最期は実家(本人宅)に近い療養病院で迎えました。

亡くなるまで、病院に入ったから、オンライン面会しかできませんでしたが、最後までできる限り家族が面会をすることができました。栄養を注射で入れることが難しくなり、腕には注射の痕がたくさんあって、最期に亡くなる1日前に直接会った時には「よくがんばっているね」と思わず声をかけずにはいられませんでした。

看取り期の医療・介護・ケアについては、医学・看護関係の諸団体からすでに多くのガイドラインが出されています。そのすべてに、「医師による患者・家族の立場と理解に即した説明の必要」が説かれており、今回のケースでは、医師は、気管挿管をした場合のリスクや、しなかった場合の別の選択肢を、わかりやすく提示する必要があったのではないかと思います。

ただ、患者・家族が実際にどのような説明を受け、どのように理解できなかったのか? そのような事例を医療者が具体的に知る手段がなかなかないため、「患者の理解に沿った説明」がなされたかどうか? は、検討が不十分なのが実情です。

それでも、私たちにもできることはあります。まず、医師を見極める目と勇気をもつことです。病気だけを見ている医師もいれば、人を見て寄り添う医師もいます。対話する中で、最期を委ねる医師を選ぶことが大切です。そしてもう一つ、娘さんがされたように「患者家族が必要に合わせて学習しながら対処していくこと」です。

今後現状を変えていくために、患者・家族が「看取り期」に何を考え、何を感じ、どういう体験をしているのか? ということを医療者も、多くの患者・家族も、もっともっと知る必要があります。

そのためにも、「小さな灯台」は、ご遺族の皆様の貴重な体験を「看取りのエピソード」として発信し続けることで、「意思ある最期を希望する患者・家族」と医療者との間に立ち、お互いの情報の橋渡し役を果たしていければと願っています。

腕の注射の痕を見ると「頑張っているね」と声をかけるしかなかったですよね。

ご冥福をお祈りいたします。ご自愛ください。