迷うばかりの私。「正解はないんですよ」の看護師長の言葉に・・。
遺族アンケート
立春が過ぎてもまだまだ寒い毎日です。夫を見送り5カ月が経ち、やっと一人暮らしにも慣れてきました。鼻孔栄養、右半身不随、失語症となり療養型病院へ転院しなければならなくなった時、北海道支部の方と電話でお話しして、延命についての励ましと覚書のアドバイスを戴き、後々まで心の支えになりました。医師より鼻孔栄養が無理になった次は中心静脈点滴、それは延命になりますとの説明がありカードを提示していたこともあり、「看取り」にしましょうと云っていただきました。夫の意思、私の意思とはいえ、迷うばかりでした。婦長さんからも「正解はないんですよ」と慰められ、最後は「看取り」にして戴きました。安らかな終りを迎える事が出来ましが、後悔ばかりでした。今は、心よりこれで良かった 夫の意思に添えたと思っています。自分の時もと迷わず思っています。友人の紹介で入会して長いのですが、不勉強でしたが、理解ある医師と出会い、感謝しております。
教科からのコメント
「夫を見送り5か月がたち、やっと~ 」という言葉にひしひしとした寂しさが伝わります。迷っていい、哀しんでいいのです。そして繰り返し「これでよかったのだ」と何度も、何度も思い直し、ご自分でご自分に言い聞かせましょう。
大切な人には、1分でも1秒でも生きていてもらいたいと願うことは、誰にとっても当たり前のこと。だからこそ、断念せざるを得ない情況になった時、医師や看護師、あらゆる医療職の方々のサポートが必要ですし、サポートしてもらっていいのです。
まだ、今は無理でも、いつか自然に、そのサポートしていただいた体験を語れるようになったら、尊厳死協会支部のサロンにもお出かけください。そして、その経験を、まだ、これから経験する人々に伝えてあげてください。
尊厳死協会への登録という確かな意思表明があっても、医師の協力、看護師、協会支部の方々との出会いで、慰められ、支えられ、繰り返し決心し、看取りに向き合いながらも、それでもなお、後悔するお気持ちの揺れがあることがとても良く伝わる“看取りのエピソード”です。