20年前に比べ「本人の意思を尊重する」ことの理解は進んでいる

遺族アンケート

85歳母/看取った人・娘/神奈川県/2021年回答

20年前に父が病院で亡くなった際は、本人の意思(無理な延命は望まない)を伝えていたにもかかわらず、看護師さんが人工呼吸器(?)を持ってこようとしたので止めました。

20年たって在宅医療のスタッフはもちろんですが、その前に治療で通っていた病院の先生にも、本人の意思を尊重するということの理解と受け入れが進んだことを感じました。ただ、病院に通っていたら最後までスムーズに貫くのは難しかったり、家族として本当の最後の時には板ばさみになったりすることもあったかもしれない、とは感じました。

最後8か月は在宅に移行し、亡くなる前日まで点滴で水分と痛み止めの薬を入れていました。痛いのと苦しいのだけは和らげてほしい、という希望があったのと、口から水分をなかなか取り込めなくなった時に本人が希望したからです。しかし、元気な時に自分で決めたことでも、いざとなるとその通りにいかなかったり迷ったりすることもある、と当たり前ですが「そう単純にはいかないな」と思いました。

亡くなる前日くらいまで、本人の主張があり、もともと主張がしっかりあったこと、本人の意思をとにかく尊重したいと思ってみてきた娘の私の姿から、在宅医療の先生や看護師さんも私たちを尊重してくれて、点滴をやめる時も相談して決められました。

専門性を持ちながら患者を尊重する、ということが一番大事なことなのだろうと思いました。患者側からすれば当たり前のことだと思いますが、それが浸透するには協会の活動というような大きな流れが必要なのだと思います。今後、もっと大きな病院など治療前提のようなところにも根本的な考え方が普通のこととして広がっていくといいと思います。ありがとうございました。

協会からのコメント

20年前の日本の医療環境と、現在の「患者本人の意思を尊重する」という「患者中心の医療」への変化を体験されたご家族の、貴重な「看取りのエピソード」です。

何がなんでも「生かすための治療が目的と目標」の医療から、「不治かつ末期」(現代医療の粋を尽くしても治らない病状で死期が迫ってきている時)に対応した優しい医療の在り方が浸透しつつある証拠ですね。

ただ、まだまだ十分とはいえません。

緩和医療や緩和ケア・ホスピスという医療があること、何がなんでも「命を永らえさせる延命」よりも、患者・家族の人生や、生活の質QOL(クオリティ・オブ・ライフ)や、死に方の質QOD(クオリティ・オブ・デス)等の「考え方」への関心が医療者の中にも広まってほしいものです。治る見込みのある医療とそうでない医療の在り方が問われていることを医療者だけでなく一般の人々、患者・家族の皆様にも広く知ってほしいと思います。