医療手段をやめる決断はできなかった
遺族アンケート
92歳父/看取った人・娘/兵庫県/2024年回答
最終的な尊厳死については、こちらが文書やカードを提示しなくても、医療者側にすんなり理解してもらえたし意思も伝わったと思います。ただ、食事が自分で口から食べられなくなった場合、本人は医療的手段を望まないと残していましたが、脳出血で倒れた段階ですでに経鼻注入が施されており、もちろんそこからの回復もあり得るので、医療手段をやめる判断は家族としてもできませんでした。難しい問題でした。
協会からのコメント
確かに、医療行為が必要か必要でないか? を家族が判断することは難しい課題です。「医療手段をやめる判断は家族としてはできない」そのとおりです。それでよかったのです。
本プロジェクトは、看取り体験を書いてくださった遺族の皆様の勇気と、亡くなられた方の生き様によって支えられています。一つ一つの大切な経験を灯にして、「小さな灯台」へ運ぶのが私たちの仕事だと思っています。それは、まるで暗い海に放り出された小舟のように、人生の最終段階をどのように生きようかと苦悩しておられる方々に光を届ける灯台でありたい・・・そう思って始めたのが、この「小さな灯台プロジェクト」です。
現在、様々な看取り体験を「見える化」することで、これから看取りに向き合う人々に、「看取りのプロセス」やイザ! という時に、どのような決断が必要なのか? を知っていただき、その上で、最終的には一人一人の「判断や選択」に委ねています。
しかし、もしかしたら、医科学的な視点だけではなく、患者家族(生活者)の視点に立った、判断・決断の拠り所となる基準のようなものを見つける研究が必要なのかもしれません。また、DX化社会の現代なら、AIにこの私たちの体験記を学習させることで、研究課題の解決の示唆が得られるかもしれません。
皆様の一つ一つの大切な経験が灯となって、DXを駆使し「AIへの学習教材」となる役割を果たせるとしたら? その可能性への道にも船出してみることも必要なのかもしれません。
そのためには、似たような例、様々な例など、数千におよぶ膨大な数の体験記=データが必要になります。AIの学習の質を決めるのは、私たちの体験記(データ)です。単なる統計や科学的データだけでなく、人間としての私たちのありのままの感情の機微もしっかりとAIに学習させることが大切です。
皆様一人一人が経験したこと、感じたことの一つ一つが大切なデータになりうる時がくることを願いながら、今後も「看取りのエピソード」の投稿をどうぞよろしくご協力ください。心よりご冥福をお祈りしております。

