胃ろうがリビング・ウイルを考えるきっかけでした。
遺族アンケート
主人はとてもやさしい人で脳出血、くも膜下出血、脳梗塞を4回程起こしても 穏やかな人でした。60才で倒れ、その退院後8年8ヶ月間を自宅で介護しました。私と主人がリビング・ウィルのことを真剣に考えたのは、胃ろうを勧められ流されるように造ってしまったことです。皆に「まだ若いから若いから」と言われ胃ろうを勧められました。主人は「もう死にたい!」と言い、尿も一人でできずカテーテル、口からは少し食べられていましたが、主人のそういう姿を見るのがとてもつらかったです。H30/12/27に意識がもうろうとなり在宅医を呼びました。主治医はすぐ救急車を呼びました。その時にも「人工呼吸器等は絶対しません」と言いカードを見せました。主治医は「そこまで話が進んでいるならばもう何も言いません」とのことで救急の先生もそう言われました。1/9の夕方5時頃TELが鳴り、「御主人、今心臓が止まりました」との連絡でした。私は予感してました。(中略)後は死を待つだけと一日一日過ぎるのを待っていました。主人は安らかな顔でした。私は涙も一滴も出ず、ただ主人に「ありがとう、私のつたない介護でごめんね」と言いました。胃ろうをしなかったら死期も早まったと思います。一年も生きることが出来なかったでしょう。もっと口から食べさせてやりたかった。誤えんしても・・・(中略)
まだ私には色々と使命があります。35才の長女はSLEでもう20年闘病しています。おまけに心臓弁まく症になりました。これから長女のことを一生懸命していきたいです。主人は色々恵まれてました。今はデイサービス・ショートステイ病院のスタッフ・ケアマネージャーさんにとても感謝しています。※それに長尾先生の本、色々と読みました。とても勇気づけられました。先生にもありがとうございました。
協会からのコメント
身体よりも精神的に辛い状態で生き続けるご本人、それを傍で介護しながら支え続けるご家族の心痛は計り知れません。介護をされていた8年6か月に頭が下がります。
長いお手紙のご紹介を例外的に中略してご紹介させていただきました。この手紙を書きながら、優しく穏やかだったご主人様との良き日々を思い出しつつ、「まだ、私にはいろいろと使命があります」と、少しずつ前に進む気持ちを取り戻されておられる姿をイメージできて心強く感じました。
尊厳死協会の季刊誌の記事や講演会、サロンのお誘いなどは、長い介護生活の中でお役に立てたでしょうか?協会の副理事長である長尾先生の図書とも出会わられた様子にほっと安堵の思いがしています。
リビング・ウイルカードを提示して人工呼吸器管理にならなかったことはご夫婦の良い選択だったと思います。これからも続くご家族の介護生活でも、ご自身のことも大切にできる日々を送っていただけますように。ケアマネージャーさん、様々な医療スタッフの皆様からの支えを充分にうけて、ともに乗り越えていかれますように。 “小さな灯台プロジェクト”も向き合い、見守りつづけていきたいと思います。