死は悲しいけれど、望んだ最期のありように安堵

遺族アンケート

88歳夫/看取った人・妻/福岡県筑紫野市/2021年回答

ここ2、3年、間質性肺炎の疑いで、2、3回検査入院をしていましたが、最後まで原因不明でした。その都度主人は「歳だから。それに熱もないし、咳もないし、息苦しくもないから、無駄な治療はしたくない」と頑張っていました。しかし徐々に足腰が弱ってきていたように思います。

今年は、最後になるかもしれない60回目の結婚記念日の旅行をしようと、それなりに力をつけようと運動もしていた矢先でした。お正月には孫とも会うことができ、好きな日本酒を楽しんでいましたし、正月過ぎの4日にも自分の足で歩いていました。6日の夕方救急搬送され、10日目の死でした。

その間、外来の先生、病棟の先生、最後を看取ってくださった先生、その他地域包括支援センターの職員の皆様、それぞれに尊厳死のことを理解していただき、懇切丁寧に病状を説明いただき、相談にも乗ってくださり、深く感謝し、ありがたく思っています。

主人の死は悲しく寂しくはありますが、一方で安堵しております。別れは必然ですし、主人にとっては望んだ最後のありようだったと思います。なにせ「もし病院で死ぬのであれば10日くらいの入院でいいな」と言っていましたので。ただ残念だったのはコロナ禍で面会ができず、スマホでの「顔を見せてくれ」が最後だったことです。

今はただ、早くコロナが終息して、家族で最愛の人とのお別れができることを願うばかりです。合掌。

協会からのコメント

「悲しいけれど、寂しいけれど、安心と納得を得られる幸福な最期」というものがあることを教えていただける「看取りのエピソード」です。

コロナ禍の厳しい制約を経験したからこそ「別れは必然、主人にとっては望んだ最期のありようだった」と理性では理解し、納得できた看取りでも「面会ができずスマホで『顔を見せてくれ』が最後になり残念だった」という気持ちに着目したいと思います。

「目と目を合わせてお互いの心を見せ合い、手を触れて感触を確かめることの大切さ」がコロナ禍での制約に慣れて、見失われないように、むしろ、その大切さが共感されて、最愛の人との看取りに生かされていくようにと、会員の皆様と共に希望し続けてまいりましょう。