「尊厳死=安楽死」ではないと知りました
遺族アンケート
76歳義父/看取った人・嫁/2022年回答
介護のある高齢者施設を「リビング・ウイルを受け入れてくれる」という条件で本人が選び、入所して何年も暮らしていましたが、誤嚥性肺炎を起こし急性期病院に入院。症状が落ち着き小康状態となった際に、宣言書のことは自分で伝えていました。そのため、病状が変わる度に病院の担当医から家族に処置を確認していただくことができました。本人による症状緩和処置の範囲の指示が明確だったことで、家族も判断に迷うことなく最期を迎えることができました。
家族としては「尊厳死=安楽死」と思っていたところ、宣言書等の書類により、終末期の病院での過ごし方や処置の内容、緩和ケアの範囲に関することだと知り、本人の意志を尊重しようとまとまりました。
宣言に簡潔に示してあるので、施設や病院へ本人が持ち込み、日常会話が脳梗塞により不明瞭な場合でも伝えやすかったと思います。
本人が緩和ケアについても指示していたので、延命はせずとも苦しみは取り除く処置はしてもらい、おそらく最期は穏やかであったと思います(コロナ対策のために家族は臨終には立ち会えませんでした)。
はじめは「宣言書」とは大げさかと思っていましたが、本人が話せない状態で、病院や家族が意思を確認するために役立ちました。
協会からのコメント
「尊厳死は安楽死ではない」と、実体験を通してご家族が学んでくださった貴重な「看取りのエピソード」です。
自分の最期について考え、看取りをしてくれるかどうか情報を集め確認し、施設を選ぶ。
処置内容、緩和ケアの範囲に関する病院からの意向確認に対して、家族が「本人による症状緩和処置の範囲の指示が明確な宣言書」をもとに、本人ならどうしてほしいかを考え決定する。
人生の最終段階になると、誰もが求められる現実であり、リビング・ウイルを考えることは誰にも必要なことなのだと、この方のエピソードを通して多くの人々に知っていただけたらと願います。