14年前の母の時より、リビング・ウイルが広く浸透していると実感できた父の看取り

遺族アンケート

88歳父/看取った人・娘/神奈川県/2022年回答

過日、父を病院にて見送りました折、リビング・ウイルの提示により、おかげさまで本人の望む形で最期を迎えることができました。母も元気なうちからリビング・ウイルを準備しており、2008年に呼吸器内科の疾患により亡くなりましたが、当時と比較して父の時には、医療・福祉・介護の現場において、リビング・ウイルの認知が広く浸透しているのを実感いたしました。これも活動を推進してこられた皆様と、リビング・ウイルに賛同し、それぞれの置かれたところで声をあげてこられた会員・ご家族の皆様のお力によるものと、心より賛意を表し、感謝申し上げます。

母の時には、入院時にリビング・ウイルを提示しても、大学病院であっても医療者の認知度や経験値が低く、最期の迎え方が視野に入る段階において、本人も含め家族全員の要望であり、自己責任となることを家族総出でご説明しても、医療側が躊躇を示し、リビング・ウイルに従っていただけるかどうかに不安が残る中での闘病の継続となりました。当時は通信手段の制約も今よりありましたし、最期の期間中は、いつその時が来ても、無理のない範囲内となったとしても、医療側の判断と対応の進む助けになればと、家族の誰かがたえずベッドサイドに控えることにし、家族にとり緊張感が持続した状況でした。幸い、最終的には主治医のご理解が得られ、緩和的ケア・医療に切り替えられたのですが、医療者の方たちも経験や情報のない中、どのようにしたらよいか、戸惑われていたことと思います。

父が高齢者住宅への入所を2011年に決めた折には、入所時に施設側にリビング・ウイルを提示できたことにより、それからの毎日の安心につながったのは大きかったと思います。2020年になって父に初期の膀胱癌が見つかり、高齢のため積極的な治療を受けないことを希望いたしました。

無治療を選択することにより医療との関係が希薄となる懸念の残る中、施設側とは早いうちからリビング・ウイルをもとに最期の迎え方について話し合いました。その後、地域の癌拠点病院の泌尿器科・緩和ケアとの連携が得られ、癌の進行により症状が出て入退院を繰り返しても、施設側の介護支援を受けながら本人の希望する自室での生活を続けることができました。

コロナ禍で家族が常にそばにいることは不可能でしたが、どの専門職の方も父の要望を認識くださり、リビング・ウイルに沿った最期を迎えられる環境下にあることを確認でき、家族も安心して見守ることができました。

亡くなる前日、その癌拠点病院に緊急搬送された際には、心筋梗塞の診断により循環器内科での受け入れとなりましたが、緩和ケア科から循環器内科にリビング・ウイルがあることが伝えられ、循環器内科においても積極的治療は行われない方針が確認され、翌日、本人の希望どおり延命措置なしに、自然に、周囲の方々に満足と御礼を伝えつつ、最期を迎えるに至りました。

以上のように、父の療養の一連の流れにおいては、リビング・ウイルは何ら特別なものでなくなり、患者個人が医療を受ける際に示すのが当然の権利や要望の一つとして、どの領域の専門職の方にも理解され、ご対応いただけたものと感じております。

今後もリビング・ウイルが元気なうちから個々で検討され、家族で話し合われ、医療・介護・福祉の現場に深く浸透し、病院や施設、地域の別なく、さらに受け入れられていくよう願っております。

協会からのコメント

終末期の医療において、患者さん自身のリビング・ウイルという意思表明がどのように臨床の場で生かされていくかがよく伝わる「看取りのエピソード」です。

多くの人は、亡くなるまでに一人のかかりつけ医師だけで完結できるわけではありません。加齢に伴い病気は次々にさまざまな臓器に及び、それぞれ担当する専門の医師にバトンタッチされていくチーム医療に恵まれて逝く人もいます。

2008年~2022年に至る時代の医療の変化を、まさに、患者・家族の立場で記録し投稿してくださり、本当にありがとうございました。

治療現場の医療、施設の介護、福祉関係職の方々のリビング・ウイルの認知度、対応方法を知ることができる貴重な「看取りのエピソード」となっています。

ご家族を看取られた後の、時間的にも心情的にも大変な折、丁寧に投稿してくださったことに心から御礼申し上げます。まさに会員の皆様、おひとりおひとりの投稿を「小さな灯台」は励みにして努力を重ねていきたいと思います。ご家族の皆様のご健康を心よりお祈りしております。