「延命措置」に対する医療従事者との認識の隔たり

遺族アンケート

91歳父/看取った人・娘/千葉県/2022年回答

尊厳死協会に入会したのは、父母がまだ元気な60歳の頃でした。そんな時から、何かあった時の希望を話してくれ、何度も話題にのぼりました。そのため、最期の時も判断に迷うことなく、施設医師にお話しすることができました。施設には5年ほどお世話になりましたが、そこでも何度も家族(本人)の意向を確認され、その際にも「延命措置は不要」との父の意思を伝えることができました。その際に感じたのは、私たち普通の者の考える「延命措置」と医療従事者の方たちの言う「延命措置」には、大きな隔たりがあるということでした。それも、何度も確認され話し合ううちに、私たち家族の理解も深まっていったと思います。ただ最後には頭では理解していたことが、目の前の父を見ていると「どんな状態でも、まだここにいてほしい」という想いが強く、父の望む通りの最期を迎えさせられたか不安が残ります。ただ、両親がまだ元気な頃に、自分たちで尊厳死協会のことを知り、入会したことは、私たち家族にとって本当にありがたいことでした。ありがとうございました。

協会からのコメント

この投稿からだけでは、医療従事者の言う延命措置と普通の市民が考える延命措置との大きな隔たりが具体的にはどのような点なのか? がわかりかねます。が、「どのような状態でも、まだここに居てほしい」と願われるご家族の言葉は、臨床でもよく聞かれる言葉です。たとえ何歳でも、意識がなくても話せなくてもここに居てくれるだけでいいというご家族の心境を、医療従事者もよく理解していると、それこそ理解していただきたいと願っています。

それでも乗り越えなくてはならない壁があります。その壁を乗り越えるためには、医療者とご家族との反復と継続の対話(何度も確認・話し合い)しかないのかもしれません。

この方のように、60代の頃から尊厳死協会に入会するという行動を通してご家族に自分の最期の希望を託すという「生き方姿勢」は、見習うべき「逝き方姿勢」だと思います。60代から90代になる人生の長い時間に反復・継続されてきた対話の賜物が、イザ! その時の知的理解と感情の揺れの壁を乗り越えさせる力になるという一つの事実を、多くの方々に知っていただきたいと思います。

よくぞ、厳しい決断をされましたね。お父様の意思を全うされたご自分を褒めてあげてください。きっとお父様は満足されていると思います。心からのご冥福とご家族の皆様の健康をお祈りしております。

くれぐれもご自愛ください。