何があっても救急車は呼ばない
【遺族アンケート】
100歳母/看取った人・娘/大阪府/2023年回答
母は64歳で未亡人になってから92歳まで一人暮らしで頑張ってきました。
「何かあってからでは遅い」と私の主人が同居を申し出てくれて同居が始まりました。お互いにそれはそれはいろいろありました。ケアマネジャーさんの助言もあり、要支援から最初はデイサービス。介護度が上がる度、ショートステイ、ロングステイと。施設の方々には本当によくしていただきました。
ところが、一昨年腸閉塞で入院。99歳で全身麻酔にも耐え、見事に復帰。また、昨年末には呼吸の異常で施設から受診を打診され、そのままの入院となり、心臓の大動脈弁狭窄症で数値もなかなか改善せず……リモートでの面会では、細い血管に点滴の針が痛々しく、表情もけわしく、早く退院ができるよう毎日祈りました。結局3週間の入院となり、退院の日には母の表情も明るく、笑顔に戻った母がとってもうれしかったです。
施設に戻ってから看護師さん、ケアマネジャーさん、私の妹も交えて話し合い、看取りコースを選択しました。
何があっても救急車は呼ばない、自然にゆだねる……施設医も快諾してくださいました。そして今年1月13日、「大量の便の後、血圧が急に下がり、呼吸も弱くなっています」と連絡があり、飛んで行きました。コロナ禍でありましたが、ベランダ経由で母の部屋での面会ができ、主人と交代でつきそうことができました。私は母の耳元で大好きだった童謡をずーと歌いました。
15日お昼頃、ろうそくの火が消えるように母は旅立ちました。100歳の生涯でした。本当に安らかに苦しまずに逝けたこと、本当に良かったと思っています。長々とありがとうございました。私も涙しながら思い出すことができました。
【協会からのコメント】
「64歳で未亡人になってから92歳まで一人暮らし」という、多くの女性がたどる人生のモデルケースという視点でご紹介する「看取りのエピソード」です。
長く一人暮らしをし、娘さんとの同居を経て、病を得て入院。施設での穏やかな最期「看取りコース」という選択の道があることをご紹介していただきました。
コロナ禍でも、最期を施設で、お母様に寄り添いながら迎えることができたことは、大事な時間を共有できた大きな出来事です。この看取りのプロセスをご家族が共有できるように尽力されている施設の取り組み、職員の皆様にも拍手を送りたいと思います。
ご投稿いただき本当にありがとうございました。きっと多くの方々の参考にしていただけることと思います。くれぐれもご自愛ください。ご冥福をお祈りしております。