リビング・ウイルが威力を発揮

遺族アンケート

●「長生きしてほしい」と「楽にしてあげたい」の狭間で

95歳母/看取った人・娘/京都府/2024年回答

家族は「一日でも長く生きてほしい」という気持ちと、「つらい時から楽にしてあげたい」という気持ちの葛藤があります。リビング・ウイルによって延命措置を拒否する意志を、医師や施設スタッフと共有することができ、納得のもと点滴もやめ、穏やかに眠るように命を終えました。尊厳死協会にご相談でき、本当に感謝しています。ありがとうございました。

●点滴は天敵

88歳母/看取った人・息子/宮城県/2024年回答

最期は食事も摂れなくなって弱ってきたため、親族の中には点滴等での栄養補給を提案してくれる人もいましたが、本人がそれを希望していないとして納得してもらいました。また、痛みがひどくなってきてからは、医師にも苦痛をおさえることを優先した治療を行ってもらいました。貴協会の会員ということで、医師にもさして迷うところはなかったようです。母の意思を実現するにあたり、貴協会の御助力にあらためて御礼申し上げます。

協会からのコメント

元気な時に会員であったことが功を奏した「看取りのエピソード」を2例をご紹介します。

大切な人には、一日でも長く生きてほしいと誰もが願うことでしょう。その一方で、つらい苦痛から解放してあげたいという思いに揺れるご家族も少なくありません。しかし、そのような心情だけで物事を決定できるわけではありません。ご家族が気持ちを正直に表現し、医師や看護師も医学的見地から「不治かつ末期※注)であることを認める。さらに、ケア職であるヘルパーや介護施設の職員も、それまでのケアの経過を踏まえて納得する……その時、肝心なのが「本人の意思表示」です。イザという時、本人は意思表示ができない状態になっていることが多いからこそ、尊厳死協会の会員であるという明確な根拠が、威力を発揮します。

あわせて「食べなくなるのは、自然にエネルギーを必要としなくなったから」とか「終末期の点滴は身体にはむしろ負担」といった知識が、市民に「生活情報」として広く知られていくことも、ご遺族が罪意識にとらわれないようになるためには大事なことだと思います。尊厳死協会理事で、4600人超の看取りに立ち会ってきた、立川在宅ケアクリニックの井尾和雄医師は「人間は枯れて逝くのが自然、終末期の『点滴は天敵』であること、最期まで口から摂ること。口から摂れなくなったら、点滴もしないでよい」と主張されています。

このような実践の「看取りのエピソード」こそが、イザ! という時に決断できる力になることでしょう。会員の皆様のそれぞれの「ご遺族アンケート」の意味と力がここにあります。
これからも、皆様の投稿をお待ちしています。

編集部注)
不治かつ末期(=終末期)……「終末期」とは、「病状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な限りの治療によっても病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」とする(日本老年医学会の定義 2012/01/28)