木が朽ちて枯れて倒れるように
[姉の看取り]
遺族アンケート
入居していた老人ホームは、尊厳死協会に入会していなくても、本人が看取りの希望をした場合には自然な死を迎える対応がありました。私どもの場合、尊厳死協会会員であるとお伝えしましたが、看取りの希望をホームに申し込み、医師、本人家族(私)の面談一回で受け入れ「後で気持ちが変わって点滴等の医療行為を希望の時は、ホームでは医療行為はできないので病院にとなります」との説明でした。
もし本人が苦しみを訴えたり、家族が苦しみを見ていられない状態でしたら、入院したかもしれませんが、うつらうつら眠る状態(前日訪問の時)でした。
木が朽ちて枯れて倒れるように老いて枯れ、この世の悩み苦しみから解放されたのだと思わせる別れでした。死の当日は、前日訪れた様子でまさか次の日死を迎えると思わず、傍らにいられなかったのが心残りといえば心残りです。
協会からのコメント
ご本人が希望すれば、自然な死を迎える対応をしてくれる施設でのエピソードです。
「木は月日がたてば朽ち果てて土にかえります。人もそんな日がやってきて、木のように土にかえれたら私は幸せだと思っています。さらに、木は育って周囲の多くのものを養い、慈しんだのち、寿命を全うします。木は色々な方の中に想い出の種を沢山播いて、いつまでも心の中で育つのだと思います」とは、あるベテランの訪問看護師さんの言葉です。
このような視点にたてば、点滴等の医療行為をしない「自然な看取り」が可能なのです。「自然な看取り」と「病院での看取り」の違いを理解していただくために、とてもよい「看取りのエピソード」としてご紹介します。