リビング・ウイルカードを提示することは、家族として勇気のいること

遺族アンケート

90歳夫/看取った人・妻/奈良県

15年ほど前、夫75歳、私67歳の時に一緒に入会させていただきました。開業医として生きた夫でしたが、74歳で医院を閉め、余生を楽しく過ごせました。夫は88歳までほとんど病気知らずでしたが、心臓のカテーテル手術を自分の意志で受けました。1年後に、間質性肺炎のステロイド治療を子どもたちと主治医のすすめで受けてから認知症がすすみ、老健施設に入れてもらい安定しておりましたが、転倒して大腿骨骨折の手術を受け治癒しました。1年後に又転倒、顔面を打ち、次第に弱り亡くなりました。リビング・ウイルカードは提示せずに終わりましたが、普段から迷いなく安心して暮らせました。夫の生存中も今も思うのですが、リビング・ウイルカードを提示することは、家族としても勇気のいることだと感じます。提示せず長生きさせていただけたことは幸せだったと思っています。

協会からのコメント

かけがえのない自分の命を大切にして、自分の人生をより豊かに、自分らしく生きるために「ノーという勇気」が必要なことがあります。老若男女・国籍を問わず「ノー」という人の訴えを聞く耳のある成熟した社会が、今、求められています。妻にとって「夫のリビング・ウイルカードを提示すること」は本当に怖い、勇気のいることなのだと、その怖いという気持ちに医療者もケア職も、もっと関心を寄せる必要があると感じます。

「大切な人の命の限界を一人で決断しなくてはならない」と重く受け止めると、できることなら避けたくなるのは当然ですよね。だとしたら「リビング・ウイル」は、医療職もケア職も患者・家族も、みんなで「判断の責任を分かち合うためのもの」だと理解してみたらどうでしょう。「医療者の指示を待つ、任せる」というのではなく「家族も共に悩みます。そして、家族である私たちも支えてください」と言えるように「リビング・ウイルやACP」をベースにして、医療者と終末期の話題を明るく話せるようなコミュニケーションを心掛けていきたいものです。理想的すぎるかもしれませんが、一つずつ、一歩ずつ。