横にいたのに旅立ちに気付かず後悔しています

遺族アンケート

83歳夫/看取った人・妻/大阪府

16日朝7時半に私が気が付いて娘二人に連絡、その後救急車を呼ぶように娘から連絡あり、長男に連絡後、隣人に助けを呼ぶ。病院より警察の方へ。夕方5時半頃遺体が帰ってきました。前日の15日に、天王寺で食事をし、夕食の食べたいものを買って3時頃帰宅、いつも通りの生活で眠りにつき、6時頃(朝)イビキが聞こえたのですが、いつものことと無視しておりました。通常、7時過ぎには起きますが、その日は7時半になっても起きてこなかったので、ふすまをあけましたところ、いつもと違い行儀よく上向きで顔色が変わっていました。あとで気が付いたのですが、朝方トイレに行くと、ストーブのタイマーセットがしてあるので、居間と寝室の間のふすまを閉めてくれるのですが、当日も閉まっていました。 
横にいた私が気が付かなくて、とても申し訳なく後悔しております。尊厳死協会のカードのお世話にはなりませんでしたが、お守りのようにいつも持っておりました(私もです)。考えようによっては、ピンピンコロリで私の世話を受けないように気をつかってくれたのかと思っております。お寺さんや、知人にもそう思っていただいているようです。あまりにもあっけない旅立ちに、はかない命を身をもって感じました。ありがとうございました。

協会からのコメント

予想もしなかった突然のお別れに、さぞ驚かれたことでしょう。おそらく亡くなった本人もいつものようにふすまを閉め、お別れをした実感がないのかもしれません。人の命のはかなさを感じる看取りのエピソードです。ここでも「大切な人を亡くした悲嘆・グリーフのプロセス」の情報がお役に立つと思います。

お互いお別れや感謝の気持ちを伝え合いたかったと思います。残された人は、あれこれと世話を焼き、少しずつ弱っていく様子を見て覚悟をしていく過程をもてず「してあげられなかったこと」を思い返して寂しく、つらくなるかもしれません。でもそれはきっと本人が望まなかったこと、世話をかけないように先に逝ってしまったのかもと思い定めることが、結局の癒しになるように思います。残された人が、健やかに過ごすことが本人の一番の希望だったのだと。こんな「逝き方」もあるのだとお伝えできるのも「小さな灯台」の大切な役目だと思います。共に心からのご冥福をお祈りしています。