「1日でも長く生きてほしい」という息子たちをやっと説得

遺族アンケート

夫を看取った妻の立場で/香川県/2021年回答

私は長年美容師をしてきて組合の理事も務めました。ある年、講演をお願いした先生と懇親会のテーブルで同席させていただいた時、「私ずっと前から尊厳死協会のことを知りたいと思い、県庁へも問い合わせましたが、わかりませんとの返事で困っています」と話しますと、背広の内ポケットから「僕も持っているこれです」と、カードを出されていろいろ教えてくださってすぐ入会しました。

そして、80歳を前にしてそろそろ終活をと思い、2人の息子たちにいろいろなことを話した折、尊厳死のカードを出して自分の想いを伝えたところ、「今は元気だからそう思えるのかもしれないが、もっと年を取って、やはり孫の成人式も見てもらいたいし、見たくなるかもしれない。そして自分たちは、どんなであれ1日でも長く生きていてほしい」と議論の末、どうしてもわかってもらえませんでした。そこで、長男が生まれる前年に、私が「長生き」というテーマで祖母のこと、私の思いを託した文章が朝日新聞の投稿欄に掲載されたことがありましたので、それを出してみせて、「貴方たちの世話になるのが忍びないとかではなくて前々からこの思いだった」と。「お母さんの意思はわかった。しっかりと受け止めます」と、やっと納得してくれました。

私は長生きして(今も十分長生きですが)老衰になれば、自宅で最期を迎えたい。もし悪い病になればホスピスで穏やかに過ごしたい。胃ろうや呼吸器を付けたりは絶対にしてほしくないと強い思いでカードを持ち、家族がそれを認めていることで心はすごく安定しています。すべては神のみぞ知る、です。

協会からのコメント

「今は元気だからそう思えるのかもしれないが、もっと年を取って、やはり孫の成人式も見てもらいたいし、見たくなるかもしれない。そして自分たちは、どんなであれ1日でも長く生きていてほしい」という言葉は、とてもよく聞かされる「親想いの優しい言葉」です。

「長生き」は良いこととされる「ものの考え方」は古今東西、庶民に染み込んでいます。そこに「自らの命に制限をかける」考え方は、なかなか受け容れ難いのは当たり前のこと。それだけに「胃ろうや呼吸器を付けたりは絶対にしてほしくないとの強い思い」が、漫然と言うだけでなく「協会の会員になるという行動」につながり、その行動が家族への説得に役立っていること。そして「家族がそれを認めていることで心はすごく安定しています」という言葉に着目してほしいと思います。

夫を看取られた体験が、ご自身へのリビング・ウイルの確信につながったプロセスがよく伝わる投稿を、本当にありがとうございました。多くの人の心に響き、多くの人の参考にしていただけますように。