家族のよりどころになる「確かなもの」は本人の意思

遺族アンケート

92歳母/看取った人・娘/神奈川県/2021年回答

普段から、両親共に協会に入ったこと、最期は無理に生かされずに穏やかに運命に任せたいということを話していました(父は2005年他界)。父も、医師から人工呼吸器をつけるかと聞かれ、母ははっきり断りました。医師も、その考えに少しホッとした表情で「では、苦しくないようにだけしましょう」と言ってくださり、穏やかに亡くなりました。あの時、母が迷いなくはっきり言えたのは、リビング・ウイルのおかげだと思います。

そして今回、母の最期の時も、同様の経験を私がしました。大切な人の死を前にすると、家族はやはり迷います。何か「確かなもの」がないと、迷い、後に後悔したりすると思います。その「確かなもの」が、本人の意思だと思います。今回は、私がはっきりと医師に伝えられました。何回か母の元気なうちに見直しもし、ホームの方との確認もしていたので、迷いなく管につながれることなく、穏やかに亡くなった母のことを本当に良かったと思っております。

次は私の時に、家族を苦しめ、悩ませることがないように、私も入会しようと考えています。長い間、ありがとうございました。

協会からのコメント

大切な人の死を前に迷わない家族はいません。その時、誰もが判断のよりどころを求めるのは自然なことです。これまでは、医師の判断に従えば良いのだという暗黙のよりどころがありました。それが「家族の判断」が求められる時代に変化していることを、もっと多くの人が知っておく必要があります。

そして、その決断しなければならない家族が、よりどころにできるのは「本人の意思」だということ。その本人の意思は、関係する医療ケア職および家族の誰もが確認できる書面やリビング・ウイルのカードなど、具体的な何かが必要なのだということが明確に伝わる「看取りのエピソード」です。