なす術なく見守るのが悲しく

遺族アンケーる

95歳夫/看取った人・妻/千葉県/2022年回答

高齢者施設なので、年に1回延命の有無の確認が行われます。具合が悪くなってからの提案は特になく、施設として把握されています。今回主人の死因は胃の出口ががんによって塞がれたため、胃ろうの問題でなく食べることが不可能な状態でした。

痛みは不思議なことになく、水分補給の点滴も入らなくなり、亡くなるまでなす術なく見守ったのです。看護師さんに「身の置き所がない状態だ」と言われるのですが、切なそうに身もだえするのを側で見ているだけで、何もしてやれず悲しく思いました。

私どもの場合は尊厳死の目的である不要な治療を望む、望まないではない状態でした。お医者様は口からも点滴も入らなくなったら1週間と言われ、本当に1週間でした。本人は意識があるのかないのかわかりませんでしたが、手を握り、さすってやる他なく、もっと安らかに眠った状態で逝くようにはならないのかと思いました。

看護師さんに聞くと個人差があり、七転八倒される方もあるとか。延命しない、胃ろうはしないということは考えてみたら干乾しにすること? 人工呼吸はしない、胃ろうはお断りとチェックしても、呼吸の方は生きることは難しくても、胃ろうをしなくても1週間はあるのです。
その間、苦しむことは考えてもいませんでした。痛みがあれば痛み止めがあります。最後は人それぞれ病気によってもいろいろあるとは思いますが、今回は少し考えさせられました。

協会からのコメント

ご自分が80代になるまで一度も人の死を看取った経験のない方も少なくありません。看取り期のさまざまな症状と対処の仕方について、今、一般の人々があらかじめ知る機会がなさすぎます。

ある5,000例を超える看取りをしてこられた訪問診療医師は「点滴は天敵」と言われ、水分補給を断つ方が身体は楽なのだということを丁寧にご家族に説明されています。また、ある訪問看護ステーションでは、死期がせまってきたなと思われるタイミングで、ご家族全員に「死ぬということ、その時、どんなことが起こり得るか? その時どうケアすると良いか?」というカンファレンスを必ず実施しています。

亡くなられた後のグリーフケアも大事ですが、事前のカンファレンスはもっと大事なグリーフケアになると、看取りに関わる多くの看護師・ケア職たちは経験・察知しておられます。

痛みはなくても、せん妄なのか「身の置き所がない」状態は「看取り期」の人には良くある症状のひとつです。

「本人は意識があるのかないのかわかりませんでしたが、手を握り、さすってやる他なく、もっと安らかに眠った状態で逝くようにはならないのかと思いました」という感想もごもっともです。

「手を握り、さすってあげること」が無力なのではなく、大切で効果的なケアの方法であることをお伝えした上で、それでもなお、1週間もの間……この状態で本当に良いのか?というご意見は、今、医療ケア職の中からも、経験智と対応策が求められてきています。

そういう現場の事情に応えようと、尊厳死協会には、死の臨床ともいうべき「リビング・ウイル研究会」があります。ちょうど2023年の第12回日本リビング・ウイル研究会のテーマは「緩和ケアの現在-痛み苦しみにどこまで対処できるか~痛み苦しみから死を望む人がいなくなることを願い~」です。ぜひ、ご参加ください。

開催に関する最新情報は、協会ホームページでご確認ください。

https://songenshi-kyokai.or.jp/

死に至る経過と症状とケアの仕方についてはまだまだ未知の分野だということを、多くの人に知っていただきたいと思います。

だからこそ、おひとりおひとりの体験と気づきが大切なのです。おひとりの体験でも、尊厳死協会という組織に集まると、気づきを行動に変えることができます。

医科学の分野は、誰かが気づき、研究に取り組み 症例がたくさん集まり、エビデンスが発見されなければ、治療の改善は望めません。さらに、人々の関心の裾野が広がらなければ、医療とケアの普及もままなりません。

会員の皆様の体験が投稿されることで点が線となり、事実が面となって積み重なり、医療ケア分野の改善が進んでいくように、一歩、一歩の歩みをご一緒していただけたら嬉しいです。

「小さな灯台」は「座礁のポイントを照らす」その「小さな役割」を果たしたいと願っています。ご投稿いただき誠にありがとうございました。