苦しい最期が悔やまれてなりません

遺族アンケート

77歳妻/看取った人・夫/北海道/2022年回答

本人は終末期に人工呼吸器による治療については拒否いたしましたが、すでに口頭による会話が不可能になった折に私の方から緩和ケア病棟へ移ることを再三お願いしましたが、聞き入れられず、結局異常な苦しみにて私との会話もできぬまま死を看取りましたことが悔やまれてなりません。

協会からのコメント

緩和ケアを希望してもかなわず、痛みに苦しむ妻になすすべもなく、会話もできないまま看取られた。悔しくつらい経験を、思いのまま投稿していただきありがとうございます。苦しい様子をそばで見ているのはどんなにつらかったことでしょう。

この投稿からだけでは、詳細な事情はわかりかねます。病院には施設設備や経営方針の事情があるでしょう。医師は何としても助けたい一心で、患者・家族の話を聴く余裕も理解する素地もなかったのかもしれません。そうだとしても、全てのサービス業(病院もサービス業注))の接遇は「その人の感じたことが事実なのだ」という視点で成立しています。「つらかった、苦しかった」と患者家族が感じたのならそれが事実なのです。

何より現代は治療優先のあまり医療者が患者・家族の感情の機微まで察してあげられる時間的余裕がないのは明らかです。また、察するだけの経験値が医療者の中にないこともあり得ます。

病院や医師の事情は、それぞれに乗り越えられない壁があるとしても、患者・家族はこのような苦痛を感じているのだと、病院や医療者に伝え続ける必要があります。

世の中にはお互いに理解しあえないことが多々あります。理解できるまで待つのではなく、「理解はできないけれど、患者・家族が感じる苦痛」を事実として受け容れ、改善していくことは可能だと思います。

会員の皆様のつらい経験も「小さな灯台」は「看取りのエピソード」として紹介し続けることで、「理解しあえない事実」が少しでも改善されるように、病院や医療者への気づきへとつなげていきたいものです。皆様の投稿をいつでもお待ちしています。

今もなお、哀しみの渦中かと思いますが、くれぐれもご自愛ください。共にご冥福をお祈りしております。

編集部注)
平成7(1995)年版厚生白書において「医療は、人が生まれるときから死ぬときまで、国民一人ひとりに密接に関連するサービス」であるとされ「医療はサービス業」であることが明記されています。