生命維持の技術は本人の幸せの実現のためにこそ必要なケア

看護大学看護教育教授匿名希望

「生命維持の技術(方法)は、本人の幸せの実現(目的)のためにあるはず」だと考えます。目的を達成するため、どういう方法を活用するかという議論が正しいはずです。

ところが、胃ろうもそうですが、「はずす」「はずさない」という議論が先行し、いつも 個々さまざまな条件下にある当人不在になっていることが気になります。

高齢者のエンドオブライフケアの実臨床において、「快適」であることが本人にとって最良の状態であることを関係者と合意の上、その本人にとって最良である目的のために、胃ろうからの注入量を徐々に減らすこと、また食べないなら、食べないまま、飲まないまま「状態は悪化しても、苦しくない」状態になるようケアをしながら、最期を見守ることは日常的に行われています。

呼吸のアシストをやめることにより急激な生命の変化をもたらすものではありませんが、徐々ではありながら、生命が終わる帰結を了解した上でという意味では、同じ議論ができるのではないかと考えます。

【協会からのコメント】
高齢者のエンドオブライフケアでは特に、本人にとって最良の状態であること、つまり「快適」であることが目指されているケアの実際が、病院や介護施設、グループホームや在宅医療の現場等、情報もスキルも日進月歩で広まってきています。

ただ、そのことの実際と臨床的な意味が、「ある日突然の介護」に出くわしたご家族、それまで介護情報など知ったこともなかったビジネス社会の人たちには「寝耳に水!」という実態がまだまだ多いと感じます。会社組織内での「介護・看取り講座」の実施など介護支援の取り組みの強化を希望していきたいものです。

以上