母が見届けてくれた私の人生
遺族アンケート
98歳母/看取った人・息子/福岡県/2024年回答
1996年に父が亡くなり、それ以来母は単身生活を送っていました。私は隣県に住んでおり、月に1回母に会いに行っていました。まだ母が自力で生活できている頃に尊厳死協会に入会したことは聴かされており、延命治療は受けない意思は承知していました。
その後、母が仙骨や胸椎の骨折で入院した折も、急変時のDNR注)(蘇生措置拒否)の意思は医療機関に伝えておりました。2022年1月に母は脳出血、脳梗塞の同時発症で脳外科に入院し、そのまま施設への退院となりました。母は聴力が衰えており、コロナ期が重なったことで面会制限もあり、十分に意思疎通ができないなか、もどかしい思いが続きました。
96才まではなんとかデイサービスやヘルパーの利用で自宅で生活していましたが、施設入所による不自由さを知りながらも、母の偏食の問題もあり、私は母を呼び寄せることも母との同居にも踏み切れずにいました。
子としては生まれ育った街で就業し生活拠点をもつのが理想ですが、経済的に自立する手段が地元にはなかったこともあり、結果母には寂しい思いをさせたのではと思うこともあります。
戦争で実際に米軍機からの機銃掃射からのがれ、最初に生んだ子を3か月で亡くし、四男(私の弟)を17才で亡くし、つらい体験をしてきた母は人の命についてはいつも重く感じてきたのではないでしょうか。
私が一つだけ母を安心させられたのは経済的に自立し、自分の家庭を持ち子供二人を育て上げたのを見届けてもらったことだと思います。日本尊厳死協会の皆様お世話になりました。
協会からのコメント
お母様自身で尊厳死協会に入会され意思表示されていたことが、何より重要であったと感じさせる「看取りのエピソード」です。
リビング・ウイルへの意思表示をして単身生活を通されたお母様。「月に1回会いに行く」ことをルーティンにして「母を安心させられたのは経済的に自立し、自分の家庭をもち子供二人を育て上げたのを見届けてもらったこと」という「ライフスタイル」(または、ものの考え方)に賛同します。リビング・ウイルは、家族それぞれの自立があってこそ選択できる「幸福な人生モデル」の一つなのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りしております。
編集部注)
DNR(蘇生措置拒否)とは、患者さんの心臓や呼吸が停止した場合に、心肺蘇生(CPR)を行わないという意思表示や医療上の指示のことです。

