「私が殺したことになるでしょ」と言ったら「それは違う」と言ってくださいました

遺族アンケート

90歳夫/看取った人・妻/福岡県

アルツハイマー型認知症で6年。最期は誤嚥性肺炎を繰り返すようになり2回入院しましたが自宅に連れて帰りました。連れ帰った日は口をパクパクさせ、切なかったのですが後は何の苦しみもなく穏やかに逝きました。タンの吸引の必要もありませんでした。認知症で言葉も「わからない」「出ない」彼でしたが安らかな最期でした。

水分も与えられなくなっても17日間生きられました。ヘルパーさん、私、子ども、孫に囲まれ私に抱かれて亡くなりました。

看護師からは「病院は治療するところ(治療しなければ病院にはいられない)」と言われたことが忘れられません。とは言っても、最後の入院時は「連れて帰ります」「病院にお願いします」の繰り返しで担当医から背中を押されて連れ帰りました。
タンの吸引も私がしました。‘最期を自宅で’だから尊厳死、‘病院・施設’だから違うとはいえないと思いました。日頃「痛み・苦しみだけはとってほしい」「無意味な延命は望まない」くらいの考えでは現実に終末期になった時、医師から「点滴はしないの?」とかいろいろ専門的なことを聞かれては答えられない。迷いに迷った。逝った後、医師にお礼の電話をしたら「貴女が決断されたのだから」と言われやっと安心しました。私が医師に「私が殺したことになるでしょ」と言ったら「それは違う」と言ってくださいました。

協会からのコメント

6年もの認知症介護! どれほど言い尽くせない大変な日々だったことでしょう。そして最終段階の病院から「自宅に連れ帰る」決断! さすがでした。夫のリビング・ウイルを立派に全うされましたね。本当に心から尊敬申し上げます。

人生の最終段階を代諾者として迷いながら決断せざるを得なかった妻に「あなたが決断されたのだから」と後押した医師の言葉。「私が殺したことになるでしょ」という言葉が出てしまった時にも、明確に「それは違う」と言いきってくださった医師の言葉が光っています。このような応答で家族はどれほど救われることでしょう。命に深く関わり続け、時に救えない命の哀しみを乗り越えながら生き抜く医師という職業だからこその言葉の重みと威力を感じました。
これまでの医療は、全てを医師にお任せが当たり前でした。でも、この「看取りのエピソード」は、責任を引き受けた妻、その決断を支持し後押ししてくれた医師との哀しいけれど誇らしい臨床例が実際にあることを示してくださっています。どうぞ、安心してご主人のご冥福をお祈りください。貴重な「看取りのエピソード」を寄稿していただき誠にありがとうございました。