介護関連会社役員 三重野真様より、小さな灯台に寄せてメッセージをいただきました

医師の意識が変わらなければ同じことの繰り返し
-医療ケア専門職は「看取り」を前向きに、市民は「死に方」を真剣に考える時-

「小さな灯台」のお話を聞き、改めて10年前に亡くなった父の死を思い返しました。20年前から脳梗塞を繰り返し、そのたびに認知機能が衰えていくという典型的な血管性認知症の症状が進行していきました。

3回目の救急搬送の後、意思疎通がほぼ難しくなり、寝たきり状態に。退院前の主治医との話で、胃ろうにするか? しないか? の判断を問われました。母親は、判断をためらっていました。主治医は、退院カンファレンスを早く終わらせたいという雰囲気をにじませながら、療養型病床への転院を勧めました。そのためには、胃ろうが必要。母親の主治医への質問は「家でごはんを食べるのが大好きだったから、また食べさせてあげたい。その可能性はありますか?」主治医の答えは「可能性はゼロじゃない。胃ろうで栄養が入ることで、回復する人もいます」。母親は「そうであれば、胃ろうにして、療養型病床への転院をお願いします」と。

私は、主治医の心の寄り添いのない事務的な対応に、内心腹を立てながら、でも、母親の気持ちを否定はできませんでした。ここで胃ろうをせずに自宅に戻したら、それは1か月以内の看取りを意味します。結局、胃ろうをつけて、療養型病床に転院し、意識が戻らないまま拘縮が進み、半年後に亡くなりました。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング:人生会議)があったとして、あの時の判断は別の答えになっていたでしょうか?

医者が、急性期のベッドコントロール、自社グループ内の療養型病床の稼働率向上ということと、看取りを自ら勧めたくないという意識がある限り、この話は繰り返されます。

もっと、医師や看護師や医療専門職が看取りを前向きにとらえる、市民がどう「死を迎える」のかを真剣に考え知識をつけることが必要だと痛切に感じます。

このことは、まさに「小さな灯台」が目指していることと同じです。より良い看取り文化への想いを同じくする者として「小さな灯台」の活動に心よりエールを送ります。



介護・住宅・関連会社役員 
三重野真