鼻からチューブ、手足の拘束。延命?救命?尊厳死とは?

遺族アンケート

延命と、生命を守るという事に、違いがあるという事を、最後の点滴をした時に感じました。延命は希望しなかったので、呼吸器、胃ろうはなしですみましたが、「たんぱく質の点滴です!」と認知の薬を口からのめないので鼻からチューブを入れて薬を胃に入れたりされたので「これは延命ではないのか!?」と疑問に思いましたが、ドクターは「延命ではないです。でも病院に入った限りは生命を守るためのできることはします。」とおっしゃいました。たんぱく質の点滴後、数時間で亡くなりました。鼻のチューブは前日からでした。延命というものは、どこまでで、どこで線を引けばいいのか、何をもって見殺しというのかわからなくなりました。尊厳死のカードはいつも病院にもっていっていました。リビング・ウイル・ノートにも「延命しないで!チューブにつながないで!」と記していました。亡くなる1日前、死ぬ前の酩酊のようになり、チューブをとろうとしたりした時、ベッドに両手両足を拘束されました。何もかもが延命のように感じました。尊厳死という言葉はいさぎよく、スマートなイメージですが、まだまだ考えなくてはいけない問題はたくさんあると思います。尊厳死という意味を安楽死というものにもう少し近づけることはできないでしょうか?私はこれで両親を失いました。これからは自分の死について向き合わないといけないです。尊厳死という言葉が世に知れ渡るようになり、エンディングノートを残す人も増え、自分の死を考える人が多くなりました。ですからこそ、尊厳死をもう少し安楽死に近づけることはできないのかと考えます。母の最後は酩酊(せん妄)のため拘束されている姿が家族はつらく、「はずして下さい。私たちがおさえますから」と言ってわたしたち娘2人で母をおさえて、手でチューブを外しそうになったり、マスクを取りそうになったりするのを止めさせるようつきっきりになりました。1日それをして、夜になっても続いて、母ももうヘトヘトになりながら暴れたので、先生に「夜は眠らせてあげられませんか?」とお願いすると、「じゃあ点滴に眠れる薬を入れてましょう。」と云って入れてくれると、母はやすらかな顔で眠りました。拘束なんてしないで、暴れた時、この安らぐ薬をどうして使ってくれなかったのだろう?と思いました。でもその眠れる薬を入れ、安らかにスヤスヤ眠って、しばらくしたあと、おだやかな顔のまま1時間後に母は息をひきとりました。下手な文章なのでわかりにくいと思いますが、私の気持ちは伝わったでしょうか?今までお世話になり、ありがとうございました。母は尊厳死カードを宝のように持って歩いていました。これからも尚一層、尊厳死、安楽死についての御活躍願っております。

協会からのコメント

延命か救命か?良く問われることですが、緊急な時こそ、医療チームの適切な判断に委ねるしかない時という事態も多くあります。         
『尊厳死を安楽死に近づけて欲しい』という言葉よりも、『認知機能が下がっている人にする点滴の意味と理由の説明が納得のいくものではなかった』という情況のように思います。
 死が近づいている人に拘束をする、何が目的なのかが分からず、家族と医療者の考えが食い違ってしまったのですね。医師も、安らぐ薬で呼吸抑制が起こり、死を近づける可能性があること、それでも良いかと、考えていることをうまく家族に説明するタイミングや余裕が欲しかったですね。切羽詰まった時、医師からの説明を求める時、家族の希望を伝える勇気は?どのタイミングでどう話せばよいのか?家族の納得を得る医療者との対話はどうしたら生まれるか?様々なことが示唆されているケースだと思います。お気持ちは良く伝わりました。お互いを責めたり、あきらめたりせず、次の時にどう活かすか、ご一緒に根気よく考えて参りましょう。                                        

備考:人生の最終段階とは?:回復を目的とした治療に効果が期待できなくなり、死への進行が止められず、近い将来死が訪れるまでの期間。病態によって期間はさまざまです。がんのように予後が予測できる場合や、慢性疾患が急激に悪くなったり持ち直したりして予後不良になる場合、脳血管疾患の後遺症や老衰など比較的長い期間になる場合、あるいはほとんど数日間の臨死期状態しかない急性の心不全や脳出血、事故による外傷などの場合もあります。『医療・ケアチームが患者の状態を踏まえて、適切に判断することが大事になります。』と協会では説明しています。