余命を伝えるつらさ
遺族アンケート
91歳母/看取った人・娘/福岡県/2022年回答
入退院を繰り返していた母に、癌は治る見込みがないこと、癌からの出血に輸血を続けることは延命処置でしかないこと、輸血を止めたら1か月命はもたないだろうことを私の口から伝えなければならなかった時が一番つらい思いをしましたが、それに対して母は「納得した、わかった」と言い、総合病院を退院して緩和ケアを受けながら過ごしました。
好きな物を食べ、友人に電話し、施設のスタッフさんも、お医者様も、とても気持ちよく対応してくださって、リビング・ウイルがあったおかげで母にかかわる全員が同じ気持ちで協力し温かく見守ってあげられたのだと思っています。リビング・ウイルがなかったらどれだけ大変だっただろうと思います。私が心穏やかにいられたのも、母の気持ちが決まっていて、それを明確に理解してもらえたおかげだと心から感謝しています。ありがとうございました。
協会からのコメント
ご本人に深刻な状況を伝えるのはどんなにかおつらい思いだったでしょうか。それを冷静に受け止められたのもリビング・ウイルがあったから、理解していたから。リビング・ウイルを考えておられたお母様には想定内のことだったのでしょう。
心の奥にいつもリビング・ウイルをもって暮らすということは、日頃から「死」に思いを巡らせ、考え続けているということのように思います。本人のそうした考え方や希望を家族や医療者が理解し支援できたことで、「死」に向かう時間を有意義に悔いなく過ごせたと思います。
自分の死に意識して向き合う必要がある時代を、今、私たちは生きていることを、多くの人々に知っていただきたいですね。
ご冥福を共にお祈りしております。