「介護は選択の連続」でも迷ったときはリビング・ウイル!
遺族アンケート
6月末に体調を崩しかかりつけの医師から入院をすすめられましたが、本人が断固拒絶したため、自宅へ連れ帰りました。7月5日深夜呼吸不全で苦しんだため、本人は嫌がりましたが説得して救急車を呼び入院(腎不全、心不全、胸水etc)。その際担当医に尊厳死協会会員である旨を伝えました。コロナのため1ヶ月面会禁止で会えませんでした(電話で状態を問い合わせるのみ)。8月4日に担当医から呼ばれ説明がありました。
食事をほとんど食べないため、①胃ろうをするか、②本人の好きなものを口から摂れるだけにするか、の選択を相談されました。②なら面会を特別に許可するので、本人の好きなものを何でも(塩分、糖分気にせず)差し入れ、食事介助に通ってOKとのことで②を選択しました。
1ヶ月ぶりに会った母は別人になっていました(入院前は要支援2だったのに要介護5に)。体力も衰え認知症の急速な進行?驚愕の再会でした。それから1ヶ月、毎日差し入れと食事介助に通った結果、しっかり食べられるようになり、会話もかみ合う様になり、リハビリも始められ退院が見えてきました。
退院に向けてリハビリ専門の病棟へ移り再び面会禁止になってしまいましたが、退院を目標に(自宅へ帰りたい一心で)頑張って、いよいよ退院の日が決まり医師から相談、①自宅へor②施設へ?「一人で自宅介護で大丈夫?」とのことでしたが、コロナのせいで施設は面会もままならない状況と、自宅大好き、近所の友人知人に会っておしゃべり大好きの母の幸せを考慮し①を選択、9月30日に退院し、自宅に帰りました。母は嬉しそうに満面の笑み!ケアマネ、ヘルパーetcに助けていただきながら自宅で楽しく過ごしておりましたが10月15日に発熱、誤嚥性肺炎とのこと。訪問担当医より、絶食することになるが①入院して経管栄養or②在宅のまま食べられるようになるまで様子を見るかの選択を聞かれ②を選択。コロナで面会禁止が続く病院に再入院したら会いたい人にも会えず、もう二度と自宅には戻れないだろうと考えたからです。
自宅での看取りを覚悟しての毎日、辛く切なかったです。
介護の日々は選択の連続です。迷った時は母のリビング・ウイルが支えてくれました。
それでも、別の選択をしたらどうだったんだろう…と後悔の山です。コロナ禍でなければ選択肢も別にあったかも知れません。コロナ、憎いです。
※最大の悔いは誤嚥性肺炎の再発を怖れて絶食を続けたことです。医師は再誤嚥の危険を説かれましたが、少しずつ何とか食べたいものを食べさせてあげたら、…もう少し長く母の笑顔が見られたのでは、と残念でなりません。
※5年前に亡くなった父も尊厳死協会の会員で、リビング・ウイルに助けられました(私も会員です)。協会の活動が拡がり、多くの方が理解し参加して下さるよう願っています。
乱筆乱文お許し下さい。
協会からのコメント
エンド・オブ・ライフ・ケア(終末期医療とケア)の極意とは、結局『食べたいものを食べさせてあげたい』『食べたいものを食べられた』幸福感が大事なのではということを知らされますね。お母様の体調・病状の変化に伴い、それぞれの場面で厳しい選択を迫られ、ご苦労された様子がよくわかります。コロナ禍での苦渋の決断もありますが、お母様が馴染んで暮らしたご自宅で希望通りの最期を迎えられたことは、ご家族の決断、協力があってのことと思います。その数々の決断の背景にリビング・ウイルという意思表明があってのこと。役立ってよかったですね。
コロナ禍がなく、面会が自由だったとしても、病院には制約が多く、非日常の空間です。自宅で過ごすことを最優先に考えられた決断は間違っていなかったと思います。
『食べたいものを少しでも食べさせたかった』、という思いは本当にお母様への愛の証だと思います。文面から充分にその愛は果たされていますよ。自信をもってくださいね。
協会では会員、非会員を問わず、語り合いの場のサロンを定期的に開催しています。(今はコロナ対策で中止していますが)このご経験をサロンで語り、身近な方々にも参考にしていただきましょう。
ご一緒に協会の活動を拡げて参りましょう。