肺炎を繰り返す中での覚悟

遺族アンケート

85歳夫/看取った人・妻/東京都/2024年回答

転院前の整形系の病院にいる時、肺炎を発症しました。一時治りましたが、転院してからまた再発をして何回か良くなったり悪くなったりしながら徐々に肺炎が進みました。先生から今後の治療の説明と家族の意向を聞かれました時、リビング・ウイルのことを申しましたところ、先生はすぐ納得なさいました。家族も、本人が自発的に入会したのを知っていましたので、本人の意志として迷いなく送ることができました。

当日、夕方まで病院に滞在していました。あいにく面会時間が限られていましたので帰宅しました。

その後21時過ぎに病院から電話をいただき、かけつけました。主人の最期には間に合いませんでしたが、話しを聞きますと眠るように穏やかな最期であったようでほっといたしました。年齢的にも85歳でしたので、それで良かったのだと、思い残すことなく主人を送ることができました。本人にとりましては、今まで心のよりどころとしてお世話になりありがとうございました。

協会からのコメント

リビング・ウイルを心のよりどころにして穏やかな最期を迎えられた「看取りのエピソード」です。肺炎を繰り返す間にも決断を迫られることもあったでしょう。その中でも迷うことなくご本人の意向を尊重されたご家族の覚悟を感じました。誰にでも起こり得ることではあっても、誰もが同じ経験をするわけではありません。しかし、一つの例を知ることで、いつかはあるかもしれないこととして想像の助けにしていただきたいと「小さな灯台」は願い、できるだけ多種多様な「看取りのエピソード」を紹介し続けていきます。

会員の皆様おひとりおひとりの経験が、多くの人々の「心の備え」として活かされますように。

ご冥福を心よりお祈りしております。