尊厳死に欠かせない“代諾者”-その尊厳も守ろう!

遺族アンケート

90歳母/看取った人・娘/東京都/2024年回答

母の最期は、食卓で夕飯を待ちながら、読んでいた夕刊にうつ伏せて、まるでうたた寝でもしているかのように静かでした。テーブルの傍らには、これから一年をかけて学ぶ古文書のテキストが置いてあり、いつもの日常の中で、ごく自然に逝きました。

以前、リビング・ウイルの会報で「人は生きてきたように死んでゆく」とありましたが、母の死に様は、まさにこれまで頑張って生きたご褒美ではないかと思います。

尊厳死という言葉を知ったのは、母方の祖父からでしたが、私たち家族がリビング・ウイルに入会した30年前は、まだまだ現在の医療機関のように浸透していなかったので、常に不安がありました。今はどの病院も、医師も、最終的な判断は患者本人やその家族に託してくれるようになり安心できる時代になりました。

また、遺してゆく愛する家族の気持ちを考えた時、最期を託すことがどれほどの心の負担になるだろうかと思うこともしばしあります。

しかしながら、未だどこまでが本当に望む治療処置なのか、奇跡を信じて、どこまで希望を捨てずにいられるか、医療が格段に進歩した今、思い悩むことがあります。

父が末期のがんで闘病した30年前は絶望の一途をたどる毎日でしたが、それでも本人の意志とは別に一分一秒でも生きてほしいと……考えは感情とは別ものであると実感した経験があります。

自分の死は自身のことではありますが、そこに心を寄せる人に対しての尊厳も守ることができた時、本当の尊厳死といえるのではないかと思っています。

長い間、母を見守りくださり感謝申し上げます。

協会からのコメント

祖父の世代から30年という時の流れを、尊厳死というテーマに寄り添ってこられた方だからこその、まさに核心を突いたご投稿をありがとうございます。

「自分の死は自身のことではありますが、そこに心を寄せる人に対しての尊厳も守ることができた時、本当の尊厳死といえるのではないか」というご指摘に共感します。

「お墓は一人で入れません」と表現された、ある終活専門家の言葉どおり、本人の意思は、その意思を全うしてさしあげようと伴走する「寄り添う人」の存在があって、初めて達成されるものです。

その人のことを協会では「代諾者」といい、その他では代弁者・代理人等、さまざまな呼称があるようです。いずれにしても、「代諾者」は、ご本人の意思が明確であればあるほど、それを達成させるために、親戚縁者や、医療介護従事者を含む、さまざまな人々の感情に対処し、整理していかざるを得ません。

その立場の人と役割の実際は、これまであまり明らかにされてこなかったのではないでしょうか?

家族・地域社会が、嫁や妻や長男・長女なら「するのが当たり前」のこととして生活に仕組まれてきていたことが、今、崩れてきていることに気付きましょう。

今後、「代諾者」の想いと課題も含めて、「小さな灯台」へのご投稿をお待ちしています。

ご一緒に考えて参りましょう。まずは、実情を知るところから始めてみましょう。ご冥福を心よりお祈りしております。