担当医が生かそうとすることには困った
遺族アンケート
83歳夫/看取った人・妻/東京都/2021年回答
8年前、夫は階段から落下。壁に頭を強打して脳挫傷となり内臓もダメージを受け、死の宣告を受けた。家族に至急知らせるように言われたが(担当医にはすべて話してリビング・ウイルを見せた)、翌日行くとあちこちにチューブをつけられ、生かされてしまっていた。
肺炎からも生還、2か月余り入院して、リハビリを受け、温泉病院に転院。本人が病院のリハビリをする気がなく隣の介護施設に移った。歩けず首から下はまったく動かず(手は多少動く時もあった)、車いす生活(介護4)。食事は食べさせてもらって食べられるようになった。すべてよくしてもらっていたので、本人は(まったく記憶がない)満足げだが真実はわからない。
費用面と、私が疲れて通えなくなり、家の近くを探すも夫のような症状の人を入れてくれる施設がない。やっとのことで受け入れてくれる施設を見つけ入居した。
①体が大きく(84㎏)車いすは特注。症状が悪くなるたびに車いすを変える(ベッドに移すのが難しくなってきた)
②夜大声で歌う
⓷手だけ動くので呼びブザーを鳴らす
など、問題行動で呼び出され疲れてしまった。何回も嚥下性肺炎をおこし、そのたびに病院に入院。
担当医と何回も話し合いの末、病院内緩和ケア病棟に移ることができた。コロナの影響で面会できず、時々声をかけてもらって会った。緩和ケア病棟のベテラン看護師さんに本当に世話になった。最後の8か月は食事がまったくとれなくなり、うめこみの点滴で生きのびた末亡くなった(骨と皮だけの状態)。
後からの話で5回ほど危なかったとのこと。病院内緩和ケア病棟のある病院で、本当に世話になった。担当医との話し合いがうまくいかない時も看護師長さんはじめ担当看護師さんに助けられた。普段から話し合っていても、本人がまったくわからなくなってしまい、どうしてほしいか聞くことができなかったこと、担当医が生かそうとすることは困った。会員証もリビング・ウイルもあまり役立たなかったことが残念。
これで良かったのかなぁーと時々考える。
協会からのコメント
「脳挫傷となり内臓もダメージを受け、死の宣告を受けた」……その時担当医にリビング・ウイルを見せ全て話したにもかかわらず生かされていたこと、本人が意思の表明ができない状態となり8年の長きにわたり療養生活を送ったこと、経済的なこと、介護者の身体的・精神的な負担が大きかったことなど、困ったことがたくさんです。8年間してきたことが良かったのかどうか?
リビング・ウイルがうまく機能しなかったケースとして、ありのままをお伝えするのも「小さな灯台」の大切な役割だと心得てご紹介する「看取りのエピソード」です。
8年間闘病生活を送られた、そのご苦労がひしひしと伝わってきます。
「これでよかったのかなぁーと時々考える」との想い、「小さな灯台」も同じ気持ちです。
ともあれ、長きにわたった闘病生活をよく乗り切り、頑張ってこられましたね。さぞかしつらい日の多かったことでしょう。にもかかわらず、冷静に投稿してくださりありがとうございました。
本当に「これで良かったのかなぁ……」というつぶやきを、最期の希望(リビング・ウイル)がかなう終末期医療の普及のための、一つの礎として「小さな灯台」の糧にさせていただきます。くれぐれもご自愛ください。