何を延命とみなし、何を緩和とみなすか……
遺族アンケート
89歳父/看取った人・娘/東京都/2021年回答
父は家系的なことから、脳梗塞的な終末を考えていたようで、日頃からリビング・ウイルについて話していました。けれど、想定外の状態であり、あまりに急な悪化で、とにかくいざという時は尊厳死を希望していることまでは医師にも伝えられましたが、どこまで本人の希望に沿えたかは今もわかりません。というのも、人工呼吸器はいらない、と言われても酸素吸入はいいのかなど、治療の細かい区分などは素人にはよくわからないからです。
また父の場合は、はじめ、3年は大丈夫だと言われており、すぐその後、誤嚥性肺炎のため入院となり、コロナ禍で会うことができず、様子がよくわかりませんでした。ところが、1日おきに行くたび、看護師より「元気よ」「今日は少しだるいみたい」と聞かされ、ある時、急に呼び出されて余命3か月と言われてしまいました。入院して、わずか1か月と数日のことです。あわてふためくように希望通り家へ連れ戻す準備をしている間にも、会えない父は秒きざみで悪くなってしまったようで、家に戻した時には口はきけなくなっていました。
3か月残っているなら快適に過ごせさせたいと思うだけで精一杯でした。でも、それも全て後手に回るほど父の悪化は速度を増して、退院後12日で息を引き取りました。病名が宣告されて2か月と6日でした。今になって思うと、どこまでして、どこまでするべきでなかったか、本当のところはわかりません。例えば「胃ろう」ということを父は知っていましたが、食事がとれないうえ、誤嚥があるので、栄養を補給するため食道に流動食を入れることも「胃ろう」と思い込み拒絶。体力の急激な減退は、父の死を確実に早めました(可能性のある治療はできなかった)。父は最期まで痛みはなく(それは救いでしたが)モルヒネも使用しませんでした。痛み苦しみが出たら鎮静させるということには同意したもののそうではない状態でした。
確実に助からないとは言われても、正直それ以上私には判断がつきませんでした。こんな状態はイヤだろうナ……と切なく思うのに、かといって殺せません。そしてなにより、父が息を引きとる時まで私はとてもまじめに必ず治ってくれると信じて疑わなかったんです。本当に難しい問題です。医者ではない私たちが、ケースにより何を延命とみなし、何を緩和とみなすか、本人が意思表示できていない時、いつ誰が決めればいいのか……。これからもずっと私は考え続けていくと思います。
協会からのコメント
「父が息を引きとる時まで私はとてもまじめに必ず治ってくれると信じて疑わなかった」という思いこそがありがたい家族愛です。が、「いつかはあること」「必ず死は訪れる」という覚悟も必要です。
「治療の細かい区分は素人にはわからない」、「病名告知から亡くなるまではどこまでして、どこまでするべきでないか、わからなかった」などなど、苦しい気持ちで過ごされたことは大変だったと思います。
本当に選択する、決断するということは辛いことですよね。医師ではない家族の立場で、命の限界を「いつ誰が決めればいいのか……。これからもずっと私は考え続けていくと思います」というお気持ちに「小さな灯台」も寄り添い続けたいと思います。そして、その苦悩を経て、看取りを果たされたことを心から尊敬します。本当に大変でしたね。お父様のご冥福を共にお祈りしています。くれぐれもご自愛ください。