リビング・ウイルは伝えるだけでなく対話も必要

遺族アンケート

93歳父/看取った人・娘/福岡県/2021年回答

私自身が看護師であり、延命に対しての疑問をもっていました。患者本人はもちろんのこと、その家族が死を受け入れられない気持ちもよくわかります。最期まで希望をもち続けたいという思いも、年齢や疾患によっては当然のことだと考えます。ただ状況によっては延命が当人を苦しめているだけではないかと思うことがありました。日本ではまだまだ本人の意志より家族に意志確認をすることが多く、元気な時から延命はしないでほしいと言っていたとしても、本人から言えない状況で家族が決めなければいけなくなると、ほとんどの家族が迷います。

看護師としては、迷う家族の気持ちに寄り添いながらも、ご本人の望みをかなえることも大切なのではないかと思う日々です。

日本はリビング・ウイルが定着しておらず、本人の意思が生かされることが少ないと思います。法的な意味を成さなければ家族は迷った末に罪悪感すら残ります。

私の両親は早くから子ども3人に意思を文章にして伝えており、献体も決めていたため、そして私が看護師としての知識もあったため、迷うことはほとんどありませんでした。兄も姉も同意してくれました。ただ、別れが近くなってきていることがわかるのはつらいものでした。

「これで良かったのか」と思うのはリビング・ウイルのことではなく、家族として娘として父や母が満足しているかどうかわからないことです。リビング・ウイルをはっきり伝えていたにもかかわらず、日頃からリビング・ウイルについての会話をしてこなかったからだと思います。避けていたわけではありませんし、何かのついでの話ではしていたのですが、家族のコミュニケーションとしては十分でなかったのかも知れません。

残された家族や友人・知人にとっては悲しみが大きいのですが、本人の意思がリビング・ウイルとして示されていれば、後悔というものはかなり少なくなると思います。

自分が決めた最期を迎えられる……そのためにもリビング・ウイルが多くの人に理解してもらえるようになっていってほしいものです。

乱筆乱文で申し訳ありません。

協会からのコメント

「個人(故人)の意思を尊重できた」と思えるためにリビング・ウイルが必要なことを、多くの「看取りのエピソード」は教えてくれています。しかし、それでも残る「本当に亡くなった人は満足していたかどうかわからない」という思いは、確認のしようがない世界だけに、とめどもなく押し寄せてくる感情であり、誰にでも起こり得る心のプロセスであることを世界中の「グリーフケアの研究者」たちが証明してくれています。ぜひ、このサイト内の【情報BOX】「グリーフケア-大切な人を亡くした哀しみを癒すために」を参考にしてみてください。 

知識がつらい感情を癒してくれる効果があるのも事実です。しかし、知識はあってもどうにもならい感情にさいなまれるのも事実です。よく「科学は気象の変化を予報はできても、天災そのものをなくすことはできない」と言われるように、消すことのできない哀しみのもとである喪失体験を見据えてなお「今! この時!」に集中すること。そして、これからの自分が「この経験を生かして幸せになる」と意識を変換させていく【選択】を私たちはできると、「小さな灯台」は照らしてくれているように思います。

解決策のない、正解のない世界だけに、ひとりひとりの想いのどれもが大切な「意思表明」です。それを「小さな灯台」は受け止め、記録保存していきます。リビング・ウイルの普及活動とともに「それぞれの選択の航路」「小さな灯台」が末永く照らし続けていけるように、会員の皆様の熱い関心とサポートをこれからもどうぞよろしくお願いいたします。