次から次への点滴に複雑な気持ちに。意思を貫く難しさを・・・。
遺族アンケート
2019年8月に肺ガンがみつかりましたが、放射線、抗ガン剤(2種類)の効果が出ず、2020年6月には余命半年を告げられました(本人には告げず)。
貴会に入会した15、16年前は健康だったからこそ延命なしで最期を迎えたいと思えたのだと感じます。
病気が発覚してからは少しでもよくなりたいと願い、そのためにきびしい治療に向き合ってきていました。治療の効果がないと自覚すると、死への恐怖もつねづね感じていたようで、貴会に入会していることを医師に告げる余裕はなかったと感じます。6月の時点で延命をどこまでするか医師に問われ、「人工呼吸器はつけない」、「心臓マッサージをしない」ということだけは決めましたが、7月に入り急に容体が悪くなっていき、食事が摂れなくなった時には本人も私達も点滴なしで最期にむかう決断はできませんでした。
あっという間に会話をすることもままならなくなり、肺炎をおこし危ないと言われ病院に泊まりこんだ時にも、容体が変わるたび私たちは医師に伝え治療を望むと、次から次へと点滴がされ、望んだこととはいえなんともいえない複雑な気持ちになりました。結局点滴で少しの命の時間はのびましたが、むくみやたんが増え、本人にとっては苦しい状態が続いてしまったと思います。点滴をはずして急性期病院を退院し、介護タクシーでホスピスに移った翌日、息を引取りました。
貴会の会員証とエンディングノートと家族への手紙が大事そうにしまってあるのを見つけたのは、母の死を覚悟した頃でした。入会時の母は貴会の趣旨に賛同していましたし、たしか入会後に話をしてくれたことも思い出しますが、最期まで強く意志を貫くのは厳しかったようです。
乱筆乱文お許し下さい。
今後の貴会の発展を心よりお祈りいたします。
ありがとうございました。
協会からのコメント
ありのままを、投稿してくださりありがとうございました。健康な時にはできる決心も、実際に命の局面に立たされた時の想いは違っていて自然ですし、これこそ多くの方々の心情だろうと思います。リビング・ウイルは、全ての治療をしない、させないということではありません。必要な治療は受けるし勧めてもらえるというものです。少しでもよくなりたいと考え、肺がんの厳しい治療を選ばれたことは良かったと思います。病院に泊まり込み一緒に過ごす時間を持てたことは、お母様とご家族にとってお互いを想う大切な時間だったのではないでしょうか。苦しみの中で自分の最期の時間を決めるのは誰もが厳しい、できない事かと思います。ただ、点滴治療と並行して、苦痛の緩和治療はどうなっていたのでしょう?苦しさや痛みがないような環境であれば、お母様の希望を通すことができたかもしれません。急性期病院での治療対応とホスピスでの治療対応の違いについての情報の普及も必要です。が、今はそれぞれの、様々な人びとの経験をこうして知ることが、とても大切だと考えます。貴重な投稿をほんとうにありがとうございました。お母様のご冥福とご家族の健やかな日々を心よりお祈りしております。