認知症が進んだ母。リビング・ウイルカードを提示するきっかけがつかめず・・。

遺族アンケート

ここ数年、母は認知症が進み、入院当初から本人が自分の意思や気持ちを伝えることは難しい状況でした。
入院のきっかけは転倒による大腿骨骨折で、手術をしてリハビリをすれば、元の通りに歩くことは難しいけれど車椅子に乗って帰れるようにはなるでしょうという説明でした。結果的には認知症もあってリハビリが進まず、口から栄養を摂れなくなって持病の腎臓病も悪化、回復の見込みがなくなっていきました。そこに至るまでに胃ろうも勧められましたが、過剰な医療は受けさせたくないという思いもあってお断りしました。でも点滴による栄養とお薬は断ることは出来ませんでした。
この段階で療養型の病院への転院を勧められました。
一旦は家に連れ帰って私が看ることを考え、訪問看護師さんの手配もお願いしたのですが、その直後、母が病院で危ない状態となってしまいICUに移動となりました。そのことで家に連れ帰ろうという私の決意が鈍ってしまい、最終的に転院を選択しました。
医師にはなるべく苦痛がないようにということをお願いしました。
最初に入院した救急病院と異なり、個室で穏やかに過ごしているように見えました。(コロナで面会があまり出来なかったことは心残りです) 積極的な治療はせず、点滴による栄養と尿を出すためのお薬を主に使って頂きました。認知症のせいか、家に帰りたいとか苦しいとか辛いとかは言いませんでしたが、数ヶ月に及ぶ寝たきりの生活のことを思うと母が不憫です。リビング・ウイルのカードは病院に見せようと何度か用意はしたのですが、その時々の流れの中で見せるきっかけがつかめず、結局見せず終いでした。
転院する前に「家に帰ったら1週間ももたないかもしれない」と言われました。でも、家に帰って好きなものを食べさせたら少しは元気になれるかもしれないと考えたのですが、結局実行できなかったのが良かったのか悪かったのか。母が何も言ってくれなかったので、私が節目節目で決断してしまったのが良かったのかどうか等、色々な思いが残ります。

協会からのコメント

転倒、入院、手術、リハビリ、持病の悪化と、初めの説明・予想と異なる展開のなか、その都度最善の治療を選ばれたと思います。胃ろうを断られたこと、医師に苦痛がないような治療をお願いできたこと、最小限の医療を選択できたことは、リビング・ウイルの理念を知っていたからこその決断だったと思います。医療の代諾人としての役目を立派に果たされたと思います。どれほど重たい体験だったことでしょう。認知症が進むと自らの判断ができなくなると理解されていたからこその、リビング・ウイルの登録、入会だったのだと思います。認知症の方の中には帰宅願望や苦痛を訴える方がおられる中で、そのような態度を示されなかったことは、お母様なりに満足しておられたのではないでしょうか。節目、節目に決断してくださったことは何も後悔する必要はありません。代諾人になった方々の困難さをありのままに投稿してくださりありがとうございました。きっと多くの方々の予備知識としてお役に立つことでしょう。どうぞ、ご自愛ください。協会はいつでもそばにいてサポートしていきます。