「呼吸を管理させてもらえますか?」の意味は?
遺族アンケート
日本の法律では尊厳死は認められていないといふことを、あらかじめ知っておく必要がある。人工呼吸器は一度とり付けたが最後、絶対に取りはずせないと福祉関係者から教えられた。はずすと殺人ほう助となり、警察につかまってしまうと。これを知らないと、尊厳死を望む患者の意思は実現できず、家族も経済的に追い詰められ大変な思いをすることになる。なぜならば、最近の人工呼吸器は性能がよく、取りつけると患者がとても長生きしてしまうからだ。その間、本人が望まない延命治療が続き、家族は高額の医療費に苦しむことになる。医療関係者が人工呼吸器をつけようとするとき、ストレートに「人工呼吸器をつけますか?」とはきかず、「呼吸を管理させてもらえますか?」などというように、あいまいな言い方をしてくることがある。この問いに「はい」と答えてしまうと、人工呼吸器を取りつけられてしまい、すでに述べたような恐ろしいことになってしまう。わたしは人工呼吸器のことは知らなかったが、医療関係者が「人工呼吸器をどうします?」と尋ねてきたときに「何もしないでください」と答えることができた。それは100%父の遺志どおりにするのだという思いがあったから。その思いのおかげで、父は植物状態になってしまったものの、およそ5か月後に安らかに天に昇っていくことができた。もしも心が動揺して、少しでも父に生きていてもらった方がいいのでは…と思って人工呼吸器をつけてしまっていたら、今頃、恐ろしいことになっていただろうと思う。植物状態で人工呼吸器をつけた家族の高額の医療費のために、持ち家を手放し、アパート住まいになったある家族の話を、親族からきかされた。尊厳死を望むことは決して間違ったことではないが、日本では社会の理解が進んでいるとはとてもいえない。また、家族が元気なときには尊厳死を強く望んでいても、いざ家族が死の淵にたたされたときには「死なせたくない」という思いが生じて、人の心は動揺するものだということ。この2つについても、日本尊厳死協会はくり返し発信していってほしいと願う次第だ。
協会からのコメント
「呼吸を管理させてもらえますか?」と言われて、すぐには、「呼吸器を付けること」だとは理解できない。確かに。医師と患者の言葉のやり取りの行き違いは、これまでも、これからも大事な課題です。医学用語や医療の慣習としての言葉使いが、社会の習慣として広く伝わる日がくるか?というとそれも難しいと思います。それは医師や看護師には日常茶飯事でも、患者ご家族は一生に一度か二度しかないことなのですから。人工呼吸器を付けるタイミングとその説明も、医師の個人差、医療施設ごとの違い、その他、様々な緊急事態の時の対応も含めて、もっと、もっと医療者側が患者・家族の立場に立つとどう見えるか、感じるかの検証や研究の必要が迫られていると深く考えさせられました。大事なご指摘として、医療者・患者家族の双方に議論を重ねていける機会を求めたいと思います。引き続き応援をよろしくお願い致します。