尊厳死は“死”ではなく“生”。残った時間をどう生きるのかを学びました。

遺族アンケート

8年前に母が他界致しましたが、両親共に入会しておりました。父はおそらく母の勧めで入会したのだと思いますが、二人とも「何もわからなくてただ生きているのはいやだ。周りの人達に迷惑をかけたくない。痛みだけはとって欲しい。延命治療は不要。」と常に言っておりました。私達家族も「尊厳死」がどう生きたいのかの本人の意思としてとても大切な事だと理解しておりました。一月末に入院し亡くなるまで、たった3ヶ月でしたが、たまたまご縁で担当してくださった先生がとても良い先生で、残った父の時間をどう過ごせば父の望む最期を迎えられるか緩和ケアの先生とよく相談し、父の治療にあたって下さいました。感謝です。死を目前にしても最後まで「延命治療は不要」を貫いた父の姿に「尊厳死」は“死“ではなく、残った時間を自分はどう生きるのか?という“生“だと学びました。自分の命を生ききってくれた父を尊敬しています。ありがとうございました。

協会からのコメント

入院治療に当たられた医師と緩和医療の医師の連携で、お父様の希望していた最期を迎えることができ、何よりでした。ご家族の深い理解があってこそのことと思います。本当に、尊厳死は、残った時間をどう生きるのかという、より良く生きるための考え方だと思います。そのように生きた方を間近に見ることで、ご家族の皆さんが、それぞれ、よりよく生きていくことが、お父様の大きな望みなのでしょう。貴重な経験を投稿していただきほんとうにありがとうございました。