苦しい? もういい? 疲れた?

遺族アンケート

96歳母/看取った人・娘/埼玉県/2023年回答

母の命の尽きるまで、幸せな時間を共に過ごせました。ありがとうございました。

入会した時に私は知らされました。80代まで病気知らずでしたので、乳がん発見時(86歳頃)、手術をすると決まって面談時医師に伝えました。次に転倒し大腿骨骨折の時も医師に伝えました。たくさんの同意書等にサインをする際に。その度に私の中で覚悟ができました。本人も意外と落ち着いていました。母の気持ちを知ってお互いに覚悟ができました。リビング・ウイルのおかげです。

病院や施設での生活は嫌っていましたので、ずっと自宅で過ごしていました。看取りも私たちで送りました。寝たきりになるまで普通に自分のことは行っていました。私の手をとって、トイレまで歩き、その時々「やだわ、早く逝きたいわ。もう十分生きて幸せだったし」と口ぐせのように言っていました。私たちの答えは「何かすべきことがあって生かされているのよ」というような会話。オープンな日常会話の一片です。寝たきりになるまでは、母の好物を買ってきたりして食べたいものを食べ(小食ですが)、したいようにしていました。

急変し寝たきりになった時も「3回くらいおしっこしちゃった」とか排尿を知らせていました。口から水分(しめらせる程度)しかとれなくなった時、マスクをしても呼吸が苦しそうで、痰吸引などつらそうでした。手をにぎり「苦しい? もういい? 疲れた?」と質問すると、細くなった手で強くにぎり返してきました。

元気な頃二人で明るく会話し、写真を選び、お気に入りの服を決めて……それもすべて私に延命拒否を知らせていたからです。支離滅裂でごめんなさい。

協会からのコメント

家での生活と関わりがよくわかる「看取りエピソード」です。

在宅介護というと大変さや不便さに話が傾くことが多いものです。しかし、この投稿からは、日常の暮らしの中で、ご本人の話を聞きながら幸せな時間を過ごされた様子が目に浮かぶようです。

長く生きていることの苦悩を訴えられる時、ご家族のつらさも含めて、これも高齢者との日常の暮らしなのだと、多くの人々の参考にしていただきたいものです。

日々の暮らしの様子はわかるようで、わからないもの……貴重な投稿をありがとうございました。