尊厳死と安楽死。母の誤解に思うこと。
遺族アンケート
亡くなった後に気づいたのは、お財布や普段使いのバッグ、保険証と一緒にいつも会員カードと宣言書を身につけていた事です。いつ何が起きても意思表示ができる安心感はあったと思います。
5ヶ月前に幽門前庭部癌を発症し食事が困難になった際、胃ろうはしたくないという意思は固くありましたが、いよいよ点滴も困難になった際、カテーテルをDrからすすめられた時に”それは延命措置にあたるかどうか”という所で悩んだ所があったようです。延命措置を望まないと宣言しながら矛盾したことをしていないか?というジャッジをしていたように思います。
晩年、痛み、だるさが強くなってきた際に”眠るように逝きたい”と言うようになりました。その頃、「母は安楽死できると思っていた」ことが初めてわかりました。会員になっていれば、そうした処置をしてもらえると思っていたようです。もちろん、医師と看護師から説明はありましたが、思い込んでいた事と違っていた事実にショックを受けているのがわかりました。
会へ望むことは
・これから必要な方へ情報が届くよう、活動を続けて欲しいこと
・母のように誤解をしている方がいたら解かれるような説明をお願いしたい
・より良く死ぬために生きるのではないことを伝えて欲しいです。
入会をしてから色々と身の回り整理をしたり、亡くなった後に連絡して欲しいリストを作ったり、遺影を撮りに行ったり段取りを一通りしておりました。
つい、そのうちと先延ばしにしがちな事に向き合う時間が持てたことはとても良かったのだと思います。有り難うございます。
協会からのコメント
あらためて、「尊厳死」と「安楽死」について。尊厳死は生の放棄ではなく、健やかに自分らしく生き、尊厳を保って安らかな最期を迎えるということです。具体的には、傷病により死が迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合に、本人の意思に基づき、死期を引き延ばすためだけの医療措置を受けないで、自然の経過のまま受け入れる死のことです。
安楽死は耐え難い苦痛を持つ人の要請により、医師が直接薬物を投与、あるいは医師が処方した致死薬を患者自身が体内に入れた結果の死。一般的に日本では認められていません。
ご指摘の通り、このふたつの言葉の意味と実際についての啓発努力を協会として続けて参ります。お約束します。さらに「より良く死ぬために生きるのではないことを伝えて欲しい」とのお言葉には、むしろ若い世代の高齢者への愛を感じます。ただ、リビング・ウイルカードを保険証とともに常に携帯し、連絡先リスト、遺影まで用意、身辺の整理を常にしておられたお母様の並々ならぬお覚悟は、『自分の望むような「良い死」を目指して、よりよく生きておられたのだ』と思うこともできます。
いずれにしても90歳のお母様のお覚悟に、あらためて尊敬をこめてご冥福をお祈り致します。