リビング・ウイルを書いたのは随分前
【遺族アンケート】
89歳母/看取った人・娘/愛知県/2023年回答
最後に看取った施設では十分受け入れられた。食べられなくなった時の施設でも理解は十分していただけたが、「人口栄養でつなぐことでまた食べられるようになるかもしれない。その可能性にかけてみるのも家族の選択ではないか。本人がリビング・ウイルを書いた時は認知がおちる前であり、随分前のこと。今の本人がどう思っているかは確認できず、家族が選択するのもありだ」と説得された。家族会議で長く話し合いを重ね、対応したが、本当に本人にとって良かったのか今でも後悔が残る。この施設でも施設長や主治医は母の今後をあきらめず、がんばろうと励ましてくださったことは十分わかっている。
最終的には、全て受け入れてもらえるところに移り、手厚い看護、コロナの中でも家族が十分世話ができる状況での最後となり安らかに旅立った。
【協会からのコメント】
その時! どのような判断をしても後悔や迷い、これで良かったのか? と思うのは当然のことだと知りましょう。ただお母様のリビング・ウイルを尊重できたことは、胸を張ってお母様に報告できることだと心に決めましょう。
そしてご家族がお世話できる時間がもて、穏やかな最期を迎えることができる居場所を選択された勇気を讃えたいと思います。ひとりひとりが納得できる選択をすること。納得できることを求めることは良いことなのだという確信を育てていきましょう。ご冥福をお祈りいたします。