どのように死ぬかを決めるのは人間の絶対的権利

84歳夫/看取った人・妻/東京都/2023年回答

長い間大変お世話になりました。年々ご活動を広げていらっしゃるご様子を会報で拝見し、心強く思っておりました。今後もお一人でも多くの方々に「尊厳死」の意味を考えていただきたく存じます。私ども「医療を受ける側」の方が、皆よく「尊厳死」のことを勉強し、真剣に考えて、医療側の考えは「一分一秒でも長く生かすこと」に熱心でおかしなことです。15年前実母が脳内出血で病院に運ばれた時の日々の記録は、今回亡くなりました夫が記してくれ、「これは裁判ものだ」と嘆きました(実母は古くからの尊厳死協会会員)。ほぼ亡くなっているに近い母を、たくさんのチューブにつなぎ、得意気に「この人はまだ生きている」という若き脳外科医に絶望し、かねてより親しかった個人病院に移し、少量の酸素のみで2~3日後に安らかに旅立ちました。

人は「時」が来たら死ぬと考えます。少し哲学的にもなるこうした考えを、我々一般人よりも、医学を志す学生や漫然と古い医療の考えの先生方にこそ知っていただきたい。どのように死ぬかは、死を前にした一人の人間が最期に行使できる絶対的権利です。ご専門の方々に大変生意気なことを申し上げ失礼をお許しくださいませ。長い人生、たくさんの大切な家族友人知人をお見送りしてまいりました。その度にこのことを深く考えます。尊厳死協会様の一層のご発展、皆々様のご健勝をお祈り申し上げます

希望する最期の迎え方は個人によりさまざまです。それを医療者が理解することからではないかというご指摘を真摯に受けとめたいと思います。

2024年12月14日、尊厳死協会主催の「第13回 日本リビングウイル研究会」でもテーマを「良き死とは」とさせていただきました。その内容が間もなく尊厳死協会本部ホームページ上でも紹介されますので、ご確認ください。

尊厳死協会の活動への後押しとなるご意見をいただけたと思います。これからも共に考えていくお仲間として、さまざまな機会へのご参加をお待ちしております。