死はシンプルなこと
81歳夫/看取った人・妻/東京都/2024年回答
前回5月の受診時(神経内科・パーキンソン症候群・糖尿)、「データの中に、提出済の『リビング・ウイル』が入っていますか?」と本人が確認していました。「探しておきます」とのことでしたが、緊急入院の際、「『リビング・ウイル』は生きていますか?」と最初に問われ「ハイ」と答えました。
医師の特別な反応、コメントはなく、処置・処方についても問われることはありませんでした。
10日目に肺の状態が悪化している旨、医師から電話がありました。私と3人の子どもで看取ることができました。通院していた病院で20年来のデータは全てあるはずですが、最後にお世話になった医師は初めてで、忙しい中いろいろな話はできませんでした。身体を支えることも、飲み込みも無理な状態でしたが、リビング・ウイルがなかったらどうだったのか? わかりません……
パーキンソン症候群・糖尿・狭心症・脊椎管狭窄・前立腺肥大といろいろあり、介護度4でしたが、週2(各6h)のデイサービス、週1(3h)の訪問リハビリ、月2(各1h)の訪問看護を受けて、自宅で暮らしました。
2年半前に同居していた私の母が(施設→病院)を経て102歳で亡くなりました。個々の状況も違うし、選べない、避けられないこととしての思いが深まりました。
ステッキ〜歩行器〜車イスと介助ベッドになりましたが、尊厳死協会会員であることは常々公言し、新聞、会報誌など老化や死については日々話していました。少しは先のことかと思いつつ、今日・明日もありうる現実として一日一日を暮らしてきました。
本人は「篠田節子さんは『死に時がある』(会報No.178)と言ってるね」と言い、私は鮫島有美子さんの「食べられなくなったら自然の摂理という話」(会報No,190)に、もうその時がきているのかもと焦ったりしました。
なんとか意思疎通ができたこと、看護側の体力がもったこと、就寝前には「今日はありがとう、明日もよろしく」の一言もあり、二人共精神的には落ち着いた生活でした。今日一日を何とか無事にという日々、貴重な時間でした。
リビング・ウイルがあったこと、会報誌などで得られた情報に支えられたと思います。
死は大変なこと、と思っていましたし事実ですが、不思議ととてもシンプルなことだとも感じました。生きて死ぬは必然ですが、納得できる年代に入ったということでしょうか。
遅くなって申し訳ありません。乱筆乱文すみません。なかなか書けませんでした。ありがとうございました。
協会からのコメント
後期高齢者は多病です。在宅での終末期の日常がよく伝わる素晴らしい「看取りのエピソード」です。
死を軽んじる気持ちはありませんが、この世に生を受けたからにはいつかは死も訪れます。死を自然の営みの一つと受け止められる世の中になるために、多くの人々に、あらかじめ知っておいていただきたいケースです。大事な方の死、受け入れがたい死、いろいろあるでしょう。
「就寝前には『今日はありがとう、明日もよろしく』の一言もあり、二人共精神的には落ち着いた生活でした。今日一日を何とか無事にという日々、貴重な時間でした」という言葉に感服しました。
看取られた奥様のご健康をお祈りしております。くれぐれもご自愛ください。