母の苦しそうな様子を見て迷いましたが・・・

遺族アンケート

状態が悪化し、管を入れてもよいかと医師に聞かれた時、母の苦しそうな様子を見て迷いましたが、尊厳死協会に入っていたことを思い出し、ことわることができました。助かったとしても、話すことも食べることもできず、植物状態になっていたと思います。一時的には苦しみましたが、母の望まない状態で生きているより本人にとっては良かったと思います。

協会からのコメント

病状の詳細はわかりませんが、おそらく呼吸不全状態にいたった時、医師から「人工呼吸器を繋いでも良いか」と聞かれたという意味だと思います。
人工呼吸器は回復できる人には良い治療ですが、回復の見込みが無い時には苦しいことだと思います。ご家族は良い選択をされたと思います。そのご家族の判断を支えたのは、《尊厳死協会の会員だった母》という拠り所があったからですね。最期の決断をするというのはそれほど大変つらく重いものであることが良く伝わるエピソードです。命を繋げる可能性がある限り全ての医療職者は決してあきらめない。どんな状況、患者が囚人でも貴人でも一切の差別なくできる限りのことを尽くす。そのあきらめない姿勢こそが医療の本質です。が、21世紀の医療では「治す医療、治療最優先」への疑問と反省が様々な領域の学会で議論されるようになりました。治療に歯止めをかけるとしたら・・。≪不治かつ末期≫(治療のほどこしようがない。命の終わりが近い)を迎えた時どうしたらいいか?私たち患者家族も、A病院、B病院と同じ専門医でも複数の医師の意見を求めたり(セカンドオピニオン)、医師の判断だけではなく、看護・ケアマネ・リハビリ・薬剤師などなどの医療職チームの観察と総合された意見を求めることも可能です。遠慮なくご家族ご自身で、いろいろな医療職種の意見を聞いて、比較検討したうえで「本人の意思」と「家族の決断」を下していくプロセスを大切になさってください。現代は、誰もがそういう局面に直面する可能性があること、そして正解は一つではないことを知りつつ、日ごろから「命の限界・その時どうしたいか?」に向き合い、考え、それぞれの選択に繋げていただきたいと思います。