死んでもいいから口から食べたい

遺族アンケート

協会からのお悔やみのお言葉心に沁みました。お役所関係、墓石営業の人さえ、お悔やみの言葉なく事務的で、虚無感で悲しくなりました。人の命の尊厳を大切にされる協会はやはり違う、と感動です。何度も経管栄養による延命はお断りしていたにも関わらず、「若いし回復の見込みがあるから経管にしませんか」と言われ、「回復できるのなら」と胃ろうを作ってしまいました。こちらから申し出てリハビリ病院に転院し、回復期過ぎた後も都内や県内40カ所程電話して、「何としても管を外して口から食べられるようにしてあげなくては!!」と必死でした。その中の一カ所、老健と病院併設の院長先生が「死んでもいいならやってやろうか?」とおっしゃって下さり、本人が「死んでもいいから食べたい」と意思表示したのでお願いしました。「無理だと思うよ」と言われてのスタートでしたが、プリンのような食事形態で、私が介助すれば丸飲みできた時もありましたが、出される食事がこんにゃくゼリーのようになってしまいクレームを出したものの、決められた分量で作っているとのことで。何度も窒息状態になり、本人が苦しく辛い思いをして、泣く泣く食べることを諦めざるを得ず・・・。見る見る覇気を失い生きる屍状態に。「回復の見込みがあると言ったのに!!」「こんな風になるのは絶対に嫌だから経管栄養を断っていたのに!!」と、やり場のない思いの二年七ヵ月でした。「これ以上の苦行、いえ拷問のような時間を延ばしたくない」と日本尊厳死協会に夫婦で入会したのが、胃ろうを造ってしまった後のことです。お陰様で、他界する3日前に、施設で病院に入院して延命治療を受けるか否かの話し合いが持たれた時、入院をお断りし、施設での看取りを受け入れていただくことができました。夫の兄は「入院させたい本人の意思を確認したい」と言いましたが、私達が日本尊厳死協会に入っていて、本人は延命を望んでないし、看護師長さんが直接確認できる段階ではない、ドクターからも「入院すれば苦しむ」とおっしゃっていただき、義兄も納得してくれました。胃ろうなどの経管栄養は、必ず回復できる場合にのみ使われるべき手段と思います。これからも貴会が間違った医療行為に歯止めをかける存在でいていただきたいです。ありがとうございました。

協会からのコメント

投稿からは病状の詳細はわかりませんが、「“胃ろう”を造ってしまった」というお気持ちから、口から食べさせたいと手を尽くされた様子。その後どのような状況に巡りあい、どのように手立てされたかを知らせていただけた貴重な“看取りのエピソード”です。終末期から看取りに至る症状や情況は、一つとして同じものはありません。それぞれが新しい貴重な体験の連続と結末です。だからこそ、一人ひとりの体験をこうして会員の皆様と共有する意味と価値があります。
さぞかし、お辛かったでしょう。闘病中にリビング・ウイルを夫婦で語りあい尊厳死協会へ入会された行動にも、きめ細かい観察、怒りの感情も、奥様の
並々ならぬご主人様への深い愛を感じます。その確固たる姿勢が、医師や看護師、医療関係者に影響を与え、お義兄様からも納得の協力を得られたのでしょう。

大切な人を亡くする悲しみのことを、特にグリーフ(悲嘆の感情)と言います。世界中の医学・倫理哲学・宗教・社会学など、多種多用な専門家たちにとって“死”は永遠の研究テーマです。大切な人というのは、子ども、夫婦、両親、そして恋人、親友、友人などをいい、その時の悲嘆感情の種類や深さは、その人にとっての関係性によってさまざまですが、とりわけ夫婦・子ども・親を亡くした直後の悲嘆感情がもっとも衝撃が強いことが国際的にも、どの専門家によっても証明されています。

“真実は最高の癒しである”という言葉があります。真実は一つではないことも了解したうえで、“胃ろう”という医療行為は医師の適切な診断と治療による医療技術として、安全で安心な栄養補給の手段の一つだという真実は変わりません。
投稿で知るかぎり、胃ろうを勧められた状況も、その後の口から食べることをチャレンジしてくださった医師の勇気も、大切な真実です。
どんなに手を尽くし、治療の限りを尽くし、納得していたつもりでもなお大切な夫の死に怒りとショックを覚えない人はいません。怒り、哀しんでいいのです。
 今、一番お伝えしたいことは、最善、最高の手を尽くされた納得の死であったとしても≪あの時、もっと~~していたら、~~していれば。もしかしたら、もっと~だったのでは~≫というタラレバの気持ちに駆られる時期があるのは、自然で当然な“悲嘆の感情”の一つであることを知りましょう。後悔しなくていいのです。

本当に2年7ヵ月もの間、良く頑張られましたね。そして辛い最中にも関わらず投稿していただきありがとうございました。きっと誰かのお役に立つに違いないと、“小さな灯台”は大切に光を当て続けてお心の回復をお祈りしております。
くれぐれもご自愛ください