三者の意思が同じ方向に・・。

遺族アンケート


誤えん性肺炎で入院するも良くなり退院となった時、口から水分等ほとんど摂取できないので、点滴を続ける所(他の老人病院)へ行くかどうか迷いましたが、LWに入っていたことと、入所していた老人ホームの看護師さんとも相談しホームへ戻ることに決めることができました。


両親ともにLWを持っていました。父は老人ホームに入居していましたが、肝硬変が治療不能ということで入居時より看とりをお願いしました。LWを持っていたことと、普段より「余計な治療は必要なし」の本人の意志を伝えたことで、本人・家族・最後までお世話をして下さった施設の方々と3者の意志が同じ方向にあり、納得のいく最後をむかえられたと思っています。


父本人(ここ数年認知症でもあった…)から聞いてはいなかったのですが、母と一緒に入会していた為、母を通して家族が理解をしていたので、父の意志も尊重できたのかなと思います。実際に様々な状況を目の前にすると判断にゆらぐ事もありましたが、医師との話しの中で、協会に入会していた旨をお話しする事で大変役に立ったと思います。

協会からのコメント

『不治かつ末期』という状態になった時に、延命医療を続けるのか?介護(生活支援)ケアを中心に行うのか?たしかに、リビング・ウイルは迷う時の判断の基礎になりますが、それだけが決定打ではありません。医療者とご家族の意思確認と合意形成へのコミニュケーション(話し合い)が何より大切なのです。実際にはどのような気持ちの変化と経過があるのか?ここに、三人の方々の「看取りのエピソード」を合わせてご紹介してみます。

『不治かつ末期』(現代医療を尽くしても治る見込みがなく、余命数週間であろうと診断されること)と言われ、「治療を続けるなら受け入れてくれる病院に転院してください。介護だけで良いと思われるなら、看取りをしてくれる老人ホームを探すか、ご自宅で訪問介護を選択されるか・・・」と言われた時に、「頭が真っ白になって何をどう考えたら良いのか分からなかった」とか「『とことん治療の限りを尽くしてください』と言わなかったら、人の子としてダメじゃないかと思って・・」と言われるご家族によく出会います。

「誤嚥性肺炎を繰り返す、飲めない、食べられない」のは生物として末期である何よりの証拠。「肝硬変の末期も、医療を中止して介護中心の自然の成り行きに任せる方がむしろ苦しみがない」と、医療者や介護職者たちは経験の積み重ねを通して納得しています。が、リビング・ウイルカードでご本人は意思表示していても、「余計な治療は必要なし」と日頃から聞いていたご家族でも、延命治療はしないと決断するまでには迷い、看護師や介護職の方々のサポートを受けてようやく決心に辿りついている様子にご注目ください。ましてや、判断の拠り所のないご家族ではパニックになって当然です。

治療不能と言われたご家族の戸惑い、無念さもあるでしょう。だからこそリビング・ウイルを明確にしておくことが、どれほど遺される家族への深い愛と配慮になるかという事実を知っていただきたいと思い、ここに、三人の方々の「看取りのエピソード」を合わせてご紹介してみました。多くの方々の参考にしていただけますように。