ずっと気持ちが揺れ動いていました

遺族アンケート

97歳母/看取った人・娘/千葉県

母は普段から延命治療はしない、尊厳死協会に加入しているとのことを話していて、入院時担当医に申し伝えました。嚥下(えんげ)障害になり入院中ずっと点滴となりました。これ以上点滴はできなくなり、胃ろうにするかの選択になった時、まわりの人たちにも相談しましたが、誰もがもう高齢だし本人の希望もあるから胃ろうはしない方が良いとの意見でした。担当医も消極的でした。ですが、在宅訪問医には胃ろうをして体力をつけ、リハビリ後自宅へ帰らせた方が良いと言われ、ヘルパーさんには点滴を止めることは家族が命を絶つことだと言われました。

私の兄弟は、母に1日でも1分でも長生きしてもらいたいと言い、悩んだ末胃ろうの手術をしました。しかし手術後1週間で肺炎をぶり返し、帰らぬ人となりました。本人は手術当日まで胃ろうはしたくないと申しました。

術後の痛みがあったので可哀想なことをしてしまったと思います。でも「これも運命」と言い、生きる気力が戻ってきてすぐリハビリをしたいと申しました。この時はやって良かったと思いました。でも、今となっては尊厳死協会に入会した本人の希望を無視してしまったことが良かったのかわからない毎日を過ごしています。私はずっと気持ちが揺れ動いていました。

いなくなってみて初めて、いてくれるだけのありがたさが身にしみています。これは残された者のわがままかもしれませんが、長いことお世話になりました。

協会からのコメント

97歳という長い高齢期を生き抜く時、病院と在宅とを行ったり来たりする生活も長くなります。すると病院の担当医、在宅の担当医、さらに訪問看護に訪問ヘルパーと、関わる専門職も多種多様に多くなります。家族は、それぞれの人の違う意見・アドバイスに直面せざるを得ません。これから、ますます多様な立場の人の、個々の意見を聞いた上で「では自分はどうするか?」と選択・決断せざるを得ないし、選択は決して人に任せてはいけないことを自覚せざるを得ない時代になります。

子どもにとって、母親を亡くすことは考えられないことかもしれません。その気持ちが、胃ろう造設となったのでしょう。延命治療を希望していなかったお母様も、おそらく子どもたちの気持ちを感じて「これも運命。リハビリをしたい」とおっしゃったのでしょう。一瞬「母の生きる気力が戻った」のも、そうした子どもの愛に応えたかったのでは? 色々な場面で、その時その時にする決断は、当事者と家族が考える最良の判断なのだと思いましょう。これも大切な人を亡くした後、誰にでも起こる自然な「悲嘆・グリーフの感情のプロセス」です。
知識として理解し“時の癒し”に委ねてみてください。これで良かったのです。大丈夫です。