母の姿を思い出し、つらい毎日です
遺族アンケート
94歳母/看取った人・娘
2017年3月に脳出血した時は、2週間で退院し車イスで介助されながらもトイレも行けたのですが、2019年の2月の脳梗塞後はおむつになり、生きる意味を失ったようです。食事も飲みこむ力はあるのにもかかわらず拒否しはじめ、担当医に呼ばれて話し合いました。中心静脈栄養や胃ろうをすればまだ生きられると言われたのですが、母の以前からの希望通り、それらはやらないことにしました。痛みや苦痛もなく、私が会いに行った時、2回返事ともとれる声を出して亡くなってしまいました。私は親の死に目に会えるとは思っていなかったのでびっくりしました。母には毎月会いに行っていましたが、ずっとそばにいたわけでもないので、母も満足したと思います。
現在の私の気持ちは、母との思い出で時々悲しくなることもあります。一人暮らしだった母の家の処分をしなければならないことを考えると、なおさらです。夕方など「母が私の行くのを待っていて、家の前で手を振っている姿」を思い出し、ここのところつらい毎日です。でも母が苦しまないで最後を迎えられたことは良かったと思います。母が協会に入会したのは、父の看病で悩んだためです。母は父の死後約40年生きたのです。私も母との思い出をたくさんつくることができて良かったと思っています。ありがとうございました。
協会からのコメント
不思議なことですが、看護師たちは「亡くなる人は会いたい人を選んで必ず告げて逝くんだなあ」という感慨深い体験をたびたびします。きっとお母様は娘さんにしっかり別れを告げたいという強い意思がおありだったのでしょう。自分の身体の状態を理解し尊厳ある最期を希望どおりに全うされた、お母様は大往生です。大切な娘に会えて安心して逝かれたことでしょう。「家の前で手を振っている姿」が実際に見えるような哀しみの経験も、看取りの後のグリーフとして、多くの人が経験しています。どうぞ【小さな灯台・情報BOX】の「悲嘆の感情(グリーフ)」も参考にしていただきながら、共に語り合える「癒しびと」を求めてください。そして、お母様の遺品整理をしながら、ゆっくりと、いつか、どこかで、誰か同じように「大切な人との死別に哀しむ人」の「癒しびと」になってください。立派に尊厳死を希望するお母様の看取りを成し遂げられたご自分を褒めてください。共に、お母様のご冥福をお祈りしています。